コメント
 
 
 
数々のコメントありがとうございました! (りょう)
2005-11-10 15:58:50
teraさま、私のブログに数々の心温まるコメントをお寄せくださいまして、本当にありがとうございます。とても嬉しく、そして励みになりました。teraさまのコメントに対するお返事は、私のブログのコメントに書きましたので、お時間のあるときにご覧いただけましたら幸いです。

お坊さんの一般社会の声、なるほど!参考になりますね。

でも、わたしはどれも失格です(笑)

これから頑張ります!

teraさまはご謙遜でしょう。僧侶として求められる資質を備えていらっしゃる。

とても尊敬しています。
 
 
 
→りょうさん (tera)
2005-11-10 18:44:25
こちらこそ、お励ましいただき有難うございます。

あちらこちらに思いつきで、重複するような内容ばかりですみません。丁寧なコメント有難うございます。読ませていただきました。

毎日の話材が豊富で内容が濃くて関心しています。是非頑張ってください。



一般社会のお坊さんに対する声は、少しゆがんでいるように思います。寺離れ・僧侶離れ現象の社会にあって、少し離れた敷居が高い存在だからこそ、表面的なみかけで評価されがちになるのだと思います。そういう意味では、ほんとうに自分は良くは評価されない部類だと思います。

ほんとうに求められるべき、智慧とか慈悲とかという仏教の根幹の資質を温めていきたいと思っています。



わからないことはお坊さんに・・・という時代は、仏教教理だけでなく、生きるということすべてへの智慧に信頼感があったのだと思います。

りょうさんの園児教育への思いは慈悲の精神そのものだと思います。正に境内の聖域にある学びの園ならではの教育ともいえましょう。そういう精神教育の期待もあって志願者が多いのだと思います。

自信を持ってご研鑽ください。
 
 
 
Unknown (りょう)
2005-11-10 20:17:47
teraさま>

励ましのお言葉ありがとうございます!

私のブログはどうも青臭く理想論に走ってしまって、現実の私生活との乖離を感じディレンマに陥ることもあります。裏を返せば、心の中では、そうした真実や理想を追求する気持ちがあるものの、なかなか実践に移せないということかもしれません。ですが、少しでも、自分のなりたい姿に近づいていきたい、そうした意欲を掻き立てるためにも、いまブログがとてもこころの張り合いになっています。毎日、今日は何を書こうかと考えることが自覚的な生活につながっているような気もします。なんとか怠惰な心に負けずに根気よく続けていこうと思います。

一般社会で僧侶が表面的な尺度で見られている。その通りだと思います。それは既成仏教の教団及び僧侶一人ひとりの怠慢によるところも大きいのでしょう。わたしなどは、自らを省みて深く反省するところで。

 teraさまは、地域活動をはじめ、寺院内においても、さまざまな取り組みを展開していらっしゃいます。また、ブログはもとより、寺院に出入りする方々で結成されたサークル活動等、寺の敷居を低くするためのさまざまな実践は見習わせていただきたいと思います。チャレンジャーですよね!

まだまだ、寺院は力を取り戻せると私も考えています。釈尊の教えは決して、輝きを失せることはありませんから。ようは伝え方ですよね。人前で話すのが不得手な私は、これから努力していこうと思います。

寺だからできる、そうだから伝えられる慈悲の保育、お言葉を胸にこれからも頑張っていきます!もったいないお言葉ありがとうございました!
 
 
 
お寺の姿がよく分かります (某子)
2005-11-11 18:17:14
いつもながら、お寺の日常についていろいろ勉強させていただいております。teraさんが開かれたお寺を作っていらっしゃるのはよく伝わってきます。ここで書かれていることも、りょうさんのコメントも含めて、なるほど、としっかり読ませていただきました。ほかではなかなか知ることができない内容です。ありがとうございます。
 
 
 
自己点検 (ぜん)
2005-11-11 19:12:00
一般社会の声はなるほどと思いますね。

僧職のなかには、自分たちと同じ目線で、社会活動や、現代的視点での発言を求られているような印象を持っている人も多いと思います。

私の個人的意見は、世俗のなかに入っての教化よりも、少し距離をおいての活動の方に、共感を持っています。

そういう意味では、ここの「声」に近いかもしれません。



ただし、

① 甚だしい音痴で、梅花は全くダメです。声明も音痴の上に、鼻にかかった声で、ほとんど失格。でも維那は時々
 
 
 
自己点検(つづき) (ぜん)
2005-11-11 19:16:59
途中で、投稿になってしまいました



①の続きで、安居していた僧堂の維那和尚は、お経を真剣に読めと口うるさく言っていました。



②剃髪をして、ほとんど洋服を着ない生活をしているのですが、、気高さとは、ほど遠いかな、、



③は、多少及第点がもらえるかもしれません。分かりやすい話という評価を、時々いただきます



これからも、精進していこうと思ってます
 
 
 
→某子さん (tera)
2005-11-11 21:32:31
お寺のことも、そして他の宗教のこともよく理解され、いつも広く温かく応援していただき有難うございます。受容力がすぐれていて、しかもポリシーを貫いていられるのですばらしいです。ここの場で、お坊さんの悩める一面を少しでも垣間見ていただければ幸いです。
 
 
 
→ぜんさん (tera)
2005-11-12 06:54:19
コメント有難うございます。遅くなってすみません。

③の及第点、うらやましいかぎりです。私も③は重要な要素と思っていますので、頑張りたいと思います。



②について言いますと、実は私も重要な要素であると思っています。けれども、それが敷居が高くなる原因になるとすると残念です。親しみ易くてしかも、気高さを保っていたいという、欲張りな希望です。



 
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