澄明な空の下、風が名残の紅葉を散らす11月15日、狩猟が解禁となり所謂ジビエの季節が到来しました。
私の実家は曽祖父から四代続くハンターの家です。そして4人とも高校の教員です。ハンティングを趣味とする人は、教員が多いのですが、なぜだかわかりますか?
猟期は冬。高校の先生には冬休みってものがあるんですよね。つまり猟がしたくて高校教員を営々と選び続けている奴らなんです。父がキジ、ヤマドリ、コジュケイ、各種カモ類、ときにはウサギやタシギなどを持って帰っては廊下で解体したり、剥製を作ったりするのを見て育ったわけです。
子供の頃は、自分がそんな野生動物を普通に食べていることを怖くて友達にいえませんでした。大人になって、西洋人がこれら野生鳥獣を食べることを無上の喜びとしてきた歴史を知り、それがジビエなんて日本人にも重宝がられていると知ったときはかなりショックでした。
でも、、、、いい環境で美味しい木の実や、農家のこぼれ穀物を食べて育った鳥は、はっきりいって超美味しいんです。
カモは渡り鳥ですが、きれいな環境で美味しい水草や木の実を食べて冬を越すカモを食べたら、スーパーの中国産合鴨なんて、食べられません。
しかし、スポーツハンティングという趣味は、日本では滅びかけています。ハンターは年々高齢化し、減少する一途です。イノシシは関西を中心として流通に乗り、イノシシを専門とするわな猟師が増え、最近ではエゾジカもやっと駆除が供給として流通するようになったようですが、日本のキジ科やカモ類はまずお店に行って食べるのは無理です。ハンターは、どれだけお金を出しても苦労して得た獲物を売ったりはしません。だから国産ジビエが食べたかったらハンターと仲良くなりましょう!都会人にはほとんど無理な話ですが、、、。
ハンターが居なくなれば、自然は守られるか?答えはNOです。限定された大して効率の良くない猟具で獲物を狩る人は、何よりもその環境を敏感に知っています。開発や耕作放棄のほうが、よほど動物に与えるダメージは大きく、存在に気付かない無関心は、名も知られない植物がうっかりとつぶされるのと同じで、最悪の自然破壊です。
欧米の野生動物管理は、彼らが完膚なきまでに原生自然を破壊しつくして、それでも止まらぬ西洋人の狩猟欲求が再導入や放鳥野生化の技術を進歩させたのがもとです。最終的には、良好な生息地のために農地を健全に、森林を保護するのに莫大な投資がなされています。今は、純粋に生態系を健全に保つというエコロジー思想が定着しましたが、、、もともと自然保護は資源保護、自分達の獲物の住処を保全することが基本なんですよね。
日本は野生鳥獣に対する関心が、食べるって事にあまり繋がってない分、一部の自然愛好家に限定されちゃってるのが残念。地鶏だなんだって言ってるけど、どうして食べるための獣は飼われて無いとだめなんでしょうね?身近な野山に住んでいる動物って本当に美味しいって知ったら、きっと耕作放棄だ無駄な開発だっていうのも改善される大きな一石と思うんですが。
欧米で狩られたカモやキジを、日本のレストランが重宝がって輸入するって、ほんと、変な話だと思う、、、それが「文化」ってものの不思議さなんでしょうか。
私の実家は曽祖父から四代続くハンターの家です。そして4人とも高校の教員です。ハンティングを趣味とする人は、教員が多いのですが、なぜだかわかりますか?
猟期は冬。高校の先生には冬休みってものがあるんですよね。つまり猟がしたくて高校教員を営々と選び続けている奴らなんです。父がキジ、ヤマドリ、コジュケイ、各種カモ類、ときにはウサギやタシギなどを持って帰っては廊下で解体したり、剥製を作ったりするのを見て育ったわけです。
子供の頃は、自分がそんな野生動物を普通に食べていることを怖くて友達にいえませんでした。大人になって、西洋人がこれら野生鳥獣を食べることを無上の喜びとしてきた歴史を知り、それがジビエなんて日本人にも重宝がられていると知ったときはかなりショックでした。
でも、、、、いい環境で美味しい木の実や、農家のこぼれ穀物を食べて育った鳥は、はっきりいって超美味しいんです。
カモは渡り鳥ですが、きれいな環境で美味しい水草や木の実を食べて冬を越すカモを食べたら、スーパーの中国産合鴨なんて、食べられません。
しかし、スポーツハンティングという趣味は、日本では滅びかけています。ハンターは年々高齢化し、減少する一途です。イノシシは関西を中心として流通に乗り、イノシシを専門とするわな猟師が増え、最近ではエゾジカもやっと駆除が供給として流通するようになったようですが、日本のキジ科やカモ類はまずお店に行って食べるのは無理です。ハンターは、どれだけお金を出しても苦労して得た獲物を売ったりはしません。だから国産ジビエが食べたかったらハンターと仲良くなりましょう!都会人にはほとんど無理な話ですが、、、。
ハンターが居なくなれば、自然は守られるか?答えはNOです。限定された大して効率の良くない猟具で獲物を狩る人は、何よりもその環境を敏感に知っています。開発や耕作放棄のほうが、よほど動物に与えるダメージは大きく、存在に気付かない無関心は、名も知られない植物がうっかりとつぶされるのと同じで、最悪の自然破壊です。
欧米の野生動物管理は、彼らが完膚なきまでに原生自然を破壊しつくして、それでも止まらぬ西洋人の狩猟欲求が再導入や放鳥野生化の技術を進歩させたのがもとです。最終的には、良好な生息地のために農地を健全に、森林を保護するのに莫大な投資がなされています。今は、純粋に生態系を健全に保つというエコロジー思想が定着しましたが、、、もともと自然保護は資源保護、自分達の獲物の住処を保全することが基本なんですよね。
日本は野生鳥獣に対する関心が、食べるって事にあまり繋がってない分、一部の自然愛好家に限定されちゃってるのが残念。地鶏だなんだって言ってるけど、どうして食べるための獣は飼われて無いとだめなんでしょうね?身近な野山に住んでいる動物って本当に美味しいって知ったら、きっと耕作放棄だ無駄な開発だっていうのも改善される大きな一石と思うんですが。
欧米で狩られたカモやキジを、日本のレストランが重宝がって輸入するって、ほんと、変な話だと思う、、、それが「文化」ってものの不思議さなんでしょうか。