私が日本にいた最後の方の時期は、ちょうどテレビの衛星放送で外国のニュースとかを盛んに放送し始めた頃でした。もう二十年以上も前のことです。
今ではどうなのか全く知らないのですが、その頃の外国ニュースは− 例えばBBCのニュースなどは- 向こうのキャスターが話しているそばから、同時通訳の人が声をかぶせて通訳していく、という式のものでした。
こういう時の通訳というのは、私の感覚では「マシン化」しているというか「道具役に徹している」というか、とにかく感情を交えずにひたすら淡々と英語を日本語にしていく役目、というものでした。
そういう頃にアイスランドに移りました。それがこちらではちょうど移民の人の数が増え始めてきた時期だったことは何度かブログに書いたことがあります。
で、その移民増加の延長なのですが、私がこちらにきてまだ数年、という時期にこちらの社会での「通訳サービス」というものが形成されてきました。
これは特に英語の通じない移民の人たちとのコミュニケーションの必要から求められてきたと思います。
私が移民のための牧師として働き始めた頃− 1995年頃ですが− ちょうどレイキャビク市の施設で移民のためのサービスを専門とする「ニーブア(新居住者)センター」というものがオープンしました。
私はそこでオフィシャルに協働しました。そして、その時期にセンターのスタッフでロバートという米国青年が一生懸命通訳のネットーワークを作り上げていったのです。
最も通訳の必要があったのはタイ語やベトナム語でした。皆が、とはいいませんが英語のできない人が多かったのは事実です。
そこでロバートはタイ人やベトナム人でアイスランド語や、少なくとも英語ができる人とコンタクトして通訳として働いてもらえる仕組みを組み立てていきました。もちろん他の言語もカバーしていきました。
通訳が求められる場というのは、最も一般的には病院やソーシャルオフィス、小中学校の教師の親との面談、離婚に際しての牧師や法律家との会合でした。
そういう機会に医者やソーシャルワーカーなどのサービスの提供者が「クライアントに言葉の問題あり」という時に、センターに通訳の提供を申し込むと指定の時と場所に通訳者が派遣される、というものでした。
もちろん、逆に相談に行く個々人が通訳を頼むこともできます。ただ、圧倒的にサービス提供者からの需要が多かったですね。
この通訳の提供、無料ではなく一回の利用は二時間を最低の単位として5.000クローネくらいが設定されていました。通訳者がこのうち3.000クローネくらいを受け取り、センターが2.000クローネをピンハネ!していたと思います。システムの維持管理、通訳の受付手配はセンターがやっていましたので、これはもちろん正当な収益ですが。
この仕組みは大当たりし、今でも独立したセンターとして機能しています。他にも同じような仕組みで通訳を手配する会社もできています。
始めた当時は、とにかくプロの通訳者はいなかったので、その言葉とアイスランド語(少なくとも英語)ができる人のアルバイト的な仕事でした。需要が増してくるにつれて「プロ」としてそれで生活する人も出てきたようです。
プロであろうとなかろうと、言葉の能力とは別に、通訳に求められるルールというものが当初よりありました。ひとつは「守秘義務」です。時には他人のプライバシーの真っ只中に入っていくわけですから、この守秘義務は当然求められるのですが、これは実際上は非常に難しい課題です。
逆に相談をする側の移民の方が通訳を使うことを嫌がることも多々あります。小さな社会ですから、同じ言葉を話す人、というのはどこかでつながっていることがあります。
そんな人に自分と配偶者の間の問題を知られてしまってはとんでもない、というようなことです。これは相当解決の難しい問題だったのですが、最近のネットの発展によって遠隔地の人が通訳をする、という道も開かれてきているようです。
私は牧師ですので、この守秘義務は毎日のように付いてきます。これについては改めて一度書いてみたいと思います。
通訳に求められるもうひとつの原則は「中立性」というか問題に個人的に関わらないことです。冒頭で「マシン化」していた同時通訳に触れましたが同じことです。機械化する必要はありませんが、話されている問題に個人的に関わってしまってはダメです。
これも当たり前のことのようですが、そうではありません。実際には関わってしまうこともあります、というか、関わらざるを得ないことがあります。例えば誰か日本のツーリストの人が事故にあって入院したとします。当然アイスランド語はダメですし、英語も自信がないということがあり得ます。
そこへ通訳として派遣された場合− 私も経験がありますが− 事故にあった当事者はまず、そのような状況で同じ日本人に会えたことでホッとして、いろいろなことを話し始めます。
これは心理学的にも当然のことで、実際事故にあったショックを発散するためにはむしろ必要なことなのです。で、通訳者は「通訳」以前にそのような過程をくぐり抜けざるを得ないことが多々あります。
いろいろ話しますよ、人は。以前ブルーラグーンで老人男性の方が心臓発作を起こして入院した時、通訳兼見舞いで伺ったことがあります。身の上話し一式拝聴しました。(^-^;
カウンセリングやインタビューの訓練を受けていない人には、そういうことが重荷になり得るのです。
長くなってしまいましたのでこの辺で切り上げますが、私の意見としては一見「マシン化」した役割に見える通訳という仕事は、実はとんでもなく「人間臭い」仕事だ、ということです。
ITの発達で、文字通り「マシン」が通訳になる可能性が増していくのでしょうが、「負けるな、人間通訳! Siriが大人になるにはまだ時間があるぞ!」と言いたい。
あれ?Siriは通訳知能ではないか...試しにSiriに「『おはようございます』は英語でなんといいますか?」と訊いたら、「おはようございます。ただいま午後五時十二分です」フン、そんなもんだ人工知能なんて。v(^^)
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
今ではどうなのか全く知らないのですが、その頃の外国ニュースは− 例えばBBCのニュースなどは- 向こうのキャスターが話しているそばから、同時通訳の人が声をかぶせて通訳していく、という式のものでした。
こういう時の通訳というのは、私の感覚では「マシン化」しているというか「道具役に徹している」というか、とにかく感情を交えずにひたすら淡々と英語を日本語にしていく役目、というものでした。
そういう頃にアイスランドに移りました。それがこちらではちょうど移民の人の数が増え始めてきた時期だったことは何度かブログに書いたことがあります。
で、その移民増加の延長なのですが、私がこちらにきてまだ数年、という時期にこちらの社会での「通訳サービス」というものが形成されてきました。
これは特に英語の通じない移民の人たちとのコミュニケーションの必要から求められてきたと思います。
私が移民のための牧師として働き始めた頃− 1995年頃ですが− ちょうどレイキャビク市の施設で移民のためのサービスを専門とする「ニーブア(新居住者)センター」というものがオープンしました。
私はそこでオフィシャルに協働しました。そして、その時期にセンターのスタッフでロバートという米国青年が一生懸命通訳のネットーワークを作り上げていったのです。
最も通訳の必要があったのはタイ語やベトナム語でした。皆が、とはいいませんが英語のできない人が多かったのは事実です。
そこでロバートはタイ人やベトナム人でアイスランド語や、少なくとも英語ができる人とコンタクトして通訳として働いてもらえる仕組みを組み立てていきました。もちろん他の言語もカバーしていきました。
通訳が求められる場というのは、最も一般的には病院やソーシャルオフィス、小中学校の教師の親との面談、離婚に際しての牧師や法律家との会合でした。
そういう機会に医者やソーシャルワーカーなどのサービスの提供者が「クライアントに言葉の問題あり」という時に、センターに通訳の提供を申し込むと指定の時と場所に通訳者が派遣される、というものでした。
もちろん、逆に相談に行く個々人が通訳を頼むこともできます。ただ、圧倒的にサービス提供者からの需要が多かったですね。
この通訳の提供、無料ではなく一回の利用は二時間を最低の単位として5.000クローネくらいが設定されていました。通訳者がこのうち3.000クローネくらいを受け取り、センターが2.000クローネをピンハネ!していたと思います。システムの維持管理、通訳の受付手配はセンターがやっていましたので、これはもちろん正当な収益ですが。
この仕組みは大当たりし、今でも独立したセンターとして機能しています。他にも同じような仕組みで通訳を手配する会社もできています。
始めた当時は、とにかくプロの通訳者はいなかったので、その言葉とアイスランド語(少なくとも英語)ができる人のアルバイト的な仕事でした。需要が増してくるにつれて「プロ」としてそれで生活する人も出てきたようです。
プロであろうとなかろうと、言葉の能力とは別に、通訳に求められるルールというものが当初よりありました。ひとつは「守秘義務」です。時には他人のプライバシーの真っ只中に入っていくわけですから、この守秘義務は当然求められるのですが、これは実際上は非常に難しい課題です。
逆に相談をする側の移民の方が通訳を使うことを嫌がることも多々あります。小さな社会ですから、同じ言葉を話す人、というのはどこかでつながっていることがあります。
そんな人に自分と配偶者の間の問題を知られてしまってはとんでもない、というようなことです。これは相当解決の難しい問題だったのですが、最近のネットの発展によって遠隔地の人が通訳をする、という道も開かれてきているようです。
私は牧師ですので、この守秘義務は毎日のように付いてきます。これについては改めて一度書いてみたいと思います。
通訳に求められるもうひとつの原則は「中立性」というか問題に個人的に関わらないことです。冒頭で「マシン化」していた同時通訳に触れましたが同じことです。機械化する必要はありませんが、話されている問題に個人的に関わってしまってはダメです。
これも当たり前のことのようですが、そうではありません。実際には関わってしまうこともあります、というか、関わらざるを得ないことがあります。例えば誰か日本のツーリストの人が事故にあって入院したとします。当然アイスランド語はダメですし、英語も自信がないということがあり得ます。
そこへ通訳として派遣された場合− 私も経験がありますが− 事故にあった当事者はまず、そのような状況で同じ日本人に会えたことでホッとして、いろいろなことを話し始めます。
これは心理学的にも当然のことで、実際事故にあったショックを発散するためにはむしろ必要なことなのです。で、通訳者は「通訳」以前にそのような過程をくぐり抜けざるを得ないことが多々あります。
いろいろ話しますよ、人は。以前ブルーラグーンで老人男性の方が心臓発作を起こして入院した時、通訳兼見舞いで伺ったことがあります。身の上話し一式拝聴しました。(^-^;
カウンセリングやインタビューの訓練を受けていない人には、そういうことが重荷になり得るのです。
長くなってしまいましたのでこの辺で切り上げますが、私の意見としては一見「マシン化」した役割に見える通訳という仕事は、実はとんでもなく「人間臭い」仕事だ、ということです。
ITの発達で、文字通り「マシン」が通訳になる可能性が増していくのでしょうが、「負けるな、人間通訳! Siriが大人になるにはまだ時間があるぞ!」と言いたい。
あれ?Siriは通訳知能ではないか...試しにSiriに「『おはようございます』は英語でなんといいますか?」と訊いたら、「おはようございます。ただいま午後五時十二分です」フン、そんなもんだ人工知能なんて。v(^^)
応援します、若い力。Meet Iceland
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