こんにちは/こんばんは。
まず、新しく着任された鈴木大使が、そのTwitterぶりで話題になり、昨日のVisirというネットニュースに紹介されていましたので、興味のある方はこちらで。こういう話題で大使がニュースになるのは珍しいかも。(*^^*)
鈴木大使のTwitterぶりについてのニュースはこちら
さて、東京オリンピックが、首都圏会場では無観客とする旨が決定されたことは、こちらのメディアでも大きく報じられています。コロナから解放された感の強いアイスランドでは、やはり驚いている感が強いように思われます。
日本ではコロナがまだ人々の生活を圧迫しているのだ、ということの認識が薄いようです。世界の情勢がこれだけ刻一刻と伝達、交換される時代であるとはいえ、それと「実感を共有する」こととはやはり別のことなのでしょう。
まあ、ある意味、しかたないでしょうね。アフガンでタリバンがまた勢力を持ちつつある、とかニュースで伝え聞いてはいても、それが自身の恐怖になることはないですし、どこかで「実感を共有できる、できない」のラインは引かれるものなのでしょう。
まあ、それと関係のあるような、ないような話しなのですが、アイスランドに住む日本人である私は、ここのところ、こちらではまったく話題になっていないけど日本ではホットな話題に夢中になっています。オータニサン!です。
この熱気がないのが寂しいアイスランド...
Myndin er ur MBL.com
毎朝目が覚めると、いの一番でMLBのサイトを開き、大谷選手の昨日(今日)の試合でホームランを打ったかどうかをチェックしてしまいます。そして打っていた場合には -ここ十日間くらいではその確率が高かったのですが- Youtubeで何度もその場面をリピートしてしまいます。
残念ながら、野球無知のアイスランド人相手では、大谷選手の活躍を口にすることはまったくできません。哀れなものだ... ワタシではなくて、あいつらが。
でも、始めに白状しておきますが、私は別に熱狂的な大谷ファンではありません。好青年ですし、好感を持って見ていますが、別に背番号17のジャージを買おうとは思いませんし、遠巻きのサポーター程度のものです。
チーム的には私はヤンキースファンで、ヤンキースのジャージやTシャツは何枚も持っています。先日は大谷選手が初めてヤンキースタジアムで先発しましたが、さすがにその際は大谷側に就きました、へへ。
マー君が去ってしまい、ヤンキースへの忠誠度は多少減少しています。
大谷選手が所属しているのはエンジェルスですが、このエンジェルスというチームも、ワタシ的にはビミョーなものがあります。大ファンではないのですが、昔から気に入っているチームではあるのです。
その理由が先日「大先輩ピッチャーと挨拶する大谷」というタイトルでYoutubeに流れていました。その大先輩ピッチャーとはクライド・ライトという人なのですが、現在七十八歳になったとか。
ビデオでは、ライトさんについて エンジェルスのホーム「アナハイム球場で初めてのノーヒット・ノーランを達成した投手」とだけ説明されていました。ライト投手はその日の試合の始球式に招かれていたようです。このライトさんが、私がエンジェルスを気にいるようになった理由なのです。
さて、今を遡ること四十五年、1976年にこのライト投手は「我が」読売ジャイアンツに入団しました。助っ人外人枠です。
ジャイアンツ時代のライト投手
Myndin er ur Tumgir.com
その頃の私は高校生で、チョージャイアンツファンでした。今は違います。で、ライト投手はその当時はかなり大物大リーガーでした。ちょっと書きましたが1970年にはノーヒット・ノーランを含んで22勝をあげていますし、以降四年連続で二桁勝利を残していました。
で、高校生の私はこのライト投手の相当なファンになりました。その当時、日本のピッチャーはものすごく投球間隔が長いのが普通でしたが、このライト投手はキャッチャーから返球されてから、ものの三秒で次の投球へ入るみたいな感じでした。
そしてですねえ、シンカーとスクリューボールを多用して、とにかく「打たせて取る」のが上手だったのです。ダブルプレーを取るのが非常に多かった記憶があります。結果、「ライトが投げると、試合が早く終わる」みたいなのはありましたね。
ところがこのライト投手、気性が荒い、というか癇癪持ちなところもあり、通訳の胸ぐらを掴んだり、カメラマンのカメラを放り投げたりと、「紳士巨人」には収まらない部分もありました。
そういうところから、「クレージー・ライト」なんていうあだ名が付けられていましたが、ユーモアのセンスもあり、当時まだ小さかった息子さんに、背の名前の部分に「Crazy 1/2」と入ったジャージを着せたりしていました。
ちなみに、ライト投手の息子さん、ジャレットも大リーグのピッチャーになり、ヤンキースで投げたりしました。私が覚えているあの子が、このジャレットさんだったのか、他に兄弟がいるのかは定かではありません。
エンジェルスの本拠地 アナハイムスタジアム
Myndin er ur Wikipedia.org
日本の野球にもポジティブで、「タナナ(当時のエンジェルスのエース)に言ってるんだ、『日本へ来て、こちらの選手を三振にとってみろ。難しいから』日本の野球はレベルが高いよ」
自分が好投したのに、チームが点を取れずに負けがついてしまった時にも「長年、点を取ってくれないチーム(エンジェルス)にいたから、それは気にならない」
やたらに野球哲学や人生観を振り回さずに、淡々ひょうひょうと試合をこなしていく姿が、高校生の私にはクールに思えたのです。
ライト投手、結局三シーズンで巨人を去りました。米国へ帰国後はアルコールの問題があったりしたそうですが、現在は立ち直り、エンジェルスの広報関係かなにかの仕事をしたり、スタジアム内で行列ができるサンドイッチ店を開いているとか。
そういう、高校生時代のスターを偶然Youtubeビデオで見ることができて懐かしかったですね。
ところでエンジェルスは、今はLAエンジェルスなのですが、前に付く「地名」は何度か変わっています。1961年の球団創設時には今と同じLAエンジェルス。
1966年、アナハイムに新球場が完成するとカリフォルニア・エンジェルスと称しました。私がエンジェルスを知った時はこの球団名でしたね。しばらくしてアナハイム・エンジェルスになり、2002年に初めてワールドシリーズを制しました。
そして2005年にはLos Angeles Angels of Anaheim という、面倒臭い名前になりましたが、2015年に、当初のLAエンジェルスに戻りました。同じ場所にいながら、地名部分だけが変わっていくというのも珍しいですね。
というわけで、大谷さんと同様、エンジェルスというチームについても、私は「遠巻きのサポーター」的なポジションです。
私が個人的にファン度の高いのは、今はダルビッシュです。去年までのカブスからパドレスへ緊急トレードしてしまったのはちょっと残念でした。カブスのジャージを買ってあったのに... パドレスのものは品切れ中。
レイキャビク西街のダルファン
ダルビッシュについてはこちらも 「還暦 ダイエット ダルビッシュ」
私がヤンキース以外のジャージを着るのは、このカブスwith Darvish のみです。そのうちパドレス with Darvishも着るでしょうが。
ついでに、MLBのグッズはAmazonで買うことはできません。米国外への売却規制があるのです。なんでかね?ですから、日本で買って転送してもらわないと。結構面倒です。
まあ、でも今シーズンはオオタニサーン! にとことん頑張って欲しいですね。季節限定でエンジェルスファンになろうかな?今週の火曜日(日本時間では水曜日)にはオールスター・ゲームです。
普段はあまり関心がないのですが、今年は例外になりそうです。そういう風にさせるオータニサン! はやはり大スターなのでしょう。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
Facebook: Toma Toshiki
まず、新しく着任された鈴木大使が、そのTwitterぶりで話題になり、昨日のVisirというネットニュースに紹介されていましたので、興味のある方はこちらで。こういう話題で大使がニュースになるのは珍しいかも。(*^^*)
鈴木大使のTwitterぶりについてのニュースはこちら
さて、東京オリンピックが、首都圏会場では無観客とする旨が決定されたことは、こちらのメディアでも大きく報じられています。コロナから解放された感の強いアイスランドでは、やはり驚いている感が強いように思われます。
日本ではコロナがまだ人々の生活を圧迫しているのだ、ということの認識が薄いようです。世界の情勢がこれだけ刻一刻と伝達、交換される時代であるとはいえ、それと「実感を共有する」こととはやはり別のことなのでしょう。
まあ、ある意味、しかたないでしょうね。アフガンでタリバンがまた勢力を持ちつつある、とかニュースで伝え聞いてはいても、それが自身の恐怖になることはないですし、どこかで「実感を共有できる、できない」のラインは引かれるものなのでしょう。
まあ、それと関係のあるような、ないような話しなのですが、アイスランドに住む日本人である私は、ここのところ、こちらではまったく話題になっていないけど日本ではホットな話題に夢中になっています。オータニサン!です。
この熱気がないのが寂しいアイスランド...
Myndin er ur MBL.com
毎朝目が覚めると、いの一番でMLBのサイトを開き、大谷選手の昨日(今日)の試合でホームランを打ったかどうかをチェックしてしまいます。そして打っていた場合には -ここ十日間くらいではその確率が高かったのですが- Youtubeで何度もその場面をリピートしてしまいます。
残念ながら、野球無知のアイスランド人相手では、大谷選手の活躍を口にすることはまったくできません。哀れなものだ... ワタシではなくて、あいつらが。
でも、始めに白状しておきますが、私は別に熱狂的な大谷ファンではありません。好青年ですし、好感を持って見ていますが、別に背番号17のジャージを買おうとは思いませんし、遠巻きのサポーター程度のものです。
チーム的には私はヤンキースファンで、ヤンキースのジャージやTシャツは何枚も持っています。先日は大谷選手が初めてヤンキースタジアムで先発しましたが、さすがにその際は大谷側に就きました、へへ。
マー君が去ってしまい、ヤンキースへの忠誠度は多少減少しています。
大谷選手が所属しているのはエンジェルスですが、このエンジェルスというチームも、ワタシ的にはビミョーなものがあります。大ファンではないのですが、昔から気に入っているチームではあるのです。
その理由が先日「大先輩ピッチャーと挨拶する大谷」というタイトルでYoutubeに流れていました。その大先輩ピッチャーとはクライド・ライトという人なのですが、現在七十八歳になったとか。
ビデオでは、ライトさんについて エンジェルスのホーム「アナハイム球場で初めてのノーヒット・ノーランを達成した投手」とだけ説明されていました。ライト投手はその日の試合の始球式に招かれていたようです。このライトさんが、私がエンジェルスを気にいるようになった理由なのです。
さて、今を遡ること四十五年、1976年にこのライト投手は「我が」読売ジャイアンツに入団しました。助っ人外人枠です。
ジャイアンツ時代のライト投手
Myndin er ur Tumgir.com
その頃の私は高校生で、チョージャイアンツファンでした。今は違います。で、ライト投手はその当時はかなり大物大リーガーでした。ちょっと書きましたが1970年にはノーヒット・ノーランを含んで22勝をあげていますし、以降四年連続で二桁勝利を残していました。
で、高校生の私はこのライト投手の相当なファンになりました。その当時、日本のピッチャーはものすごく投球間隔が長いのが普通でしたが、このライト投手はキャッチャーから返球されてから、ものの三秒で次の投球へ入るみたいな感じでした。
そしてですねえ、シンカーとスクリューボールを多用して、とにかく「打たせて取る」のが上手だったのです。ダブルプレーを取るのが非常に多かった記憶があります。結果、「ライトが投げると、試合が早く終わる」みたいなのはありましたね。
ところがこのライト投手、気性が荒い、というか癇癪持ちなところもあり、通訳の胸ぐらを掴んだり、カメラマンのカメラを放り投げたりと、「紳士巨人」には収まらない部分もありました。
そういうところから、「クレージー・ライト」なんていうあだ名が付けられていましたが、ユーモアのセンスもあり、当時まだ小さかった息子さんに、背の名前の部分に「Crazy 1/2」と入ったジャージを着せたりしていました。
ちなみに、ライト投手の息子さん、ジャレットも大リーグのピッチャーになり、ヤンキースで投げたりしました。私が覚えているあの子が、このジャレットさんだったのか、他に兄弟がいるのかは定かではありません。
エンジェルスの本拠地 アナハイムスタジアム
Myndin er ur Wikipedia.org
日本の野球にもポジティブで、「タナナ(当時のエンジェルスのエース)に言ってるんだ、『日本へ来て、こちらの選手を三振にとってみろ。難しいから』日本の野球はレベルが高いよ」
自分が好投したのに、チームが点を取れずに負けがついてしまった時にも「長年、点を取ってくれないチーム(エンジェルス)にいたから、それは気にならない」
やたらに野球哲学や人生観を振り回さずに、淡々ひょうひょうと試合をこなしていく姿が、高校生の私にはクールに思えたのです。
ライト投手、結局三シーズンで巨人を去りました。米国へ帰国後はアルコールの問題があったりしたそうですが、現在は立ち直り、エンジェルスの広報関係かなにかの仕事をしたり、スタジアム内で行列ができるサンドイッチ店を開いているとか。
そういう、高校生時代のスターを偶然Youtubeビデオで見ることができて懐かしかったですね。
ところでエンジェルスは、今はLAエンジェルスなのですが、前に付く「地名」は何度か変わっています。1961年の球団創設時には今と同じLAエンジェルス。
1966年、アナハイムに新球場が完成するとカリフォルニア・エンジェルスと称しました。私がエンジェルスを知った時はこの球団名でしたね。しばらくしてアナハイム・エンジェルスになり、2002年に初めてワールドシリーズを制しました。
そして2005年にはLos Angeles Angels of Anaheim という、面倒臭い名前になりましたが、2015年に、当初のLAエンジェルスに戻りました。同じ場所にいながら、地名部分だけが変わっていくというのも珍しいですね。
というわけで、大谷さんと同様、エンジェルスというチームについても、私は「遠巻きのサポーター」的なポジションです。
私が個人的にファン度の高いのは、今はダルビッシュです。去年までのカブスからパドレスへ緊急トレードしてしまったのはちょっと残念でした。カブスのジャージを買ってあったのに... パドレスのものは品切れ中。
レイキャビク西街のダルファン
ダルビッシュについてはこちらも 「還暦 ダイエット ダルビッシュ」
私がヤンキース以外のジャージを着るのは、このカブスwith Darvish のみです。そのうちパドレス with Darvishも着るでしょうが。
ついでに、MLBのグッズはAmazonで買うことはできません。米国外への売却規制があるのです。なんでかね?ですから、日本で買って転送してもらわないと。結構面倒です。
まあ、でも今シーズンはオオタニサーン! にとことん頑張って欲しいですね。季節限定でエンジェルスファンになろうかな?今週の火曜日(日本時間では水曜日)にはオールスター・ゲームです。
普段はあまり関心がないのですが、今年は例外になりそうです。そういう風にさせるオータニサン! はやはり大スターなのでしょう。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
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