レインボーの旗はGay Pride/ゲイの人々(と)の連帯のシンボル
Myndin er ur Visitreykjavik.is
ここしばらくの間、冒頭には天気の話しをするのが決まりのようになっています。八月中旬のレイキャビクは、天候やや不安定。風が吹き始めており、その際はかなり寒く感じます。太陽が出れば、かなり暖かさは増します。
日本では残暑どころではないみたいですね。木曜日には三条市では四十度とか。神学校時代の同級生が三条で牧師さんをしていて、彼のFacebookで見たのですが、アフリカとかでならともかく、日本で四十度というのは想像を超えています。
三条市で40度! 友人のFBから失敬
アイスランドの「良い夏」を無邪気に喜んで転げ回っていたワタシですが、先日ラジオで環境学関係の男性がしゃべっていて、彼が言うには「これは『良い夏』なんかじゃなくて、地球温暖化の脅威がここまで来ていることの証左。『恐ろしい夏』なんですよ」あちゃ。
ところで、先週の火曜だか水曜日だかにふと気が付きました。「ああ、お盆休みの時期なんだ」ゴールデンウィークの感覚が、二十年以上のアイスランド滞在の故に失われてしまっていることは、以前書いたことがあります。
加えてお盆休みまで... 長期のアイスランド滞在のせいではなく、ボケの始まりかという気がしなくもありません。(^-^; それでも終戦記念日はまだ失念しないですね。しかけていますが、815という日付を見るとか耳にすると、そのまま過ぎてしまうことは「まだ」ありません。
実は先週は月曜日と土曜日に、それぞれアイスランド人男性と邦人(日本人)女性の結婚式を担当しました。「結婚式ってまとまって入ることが多いなあ...」とか思っていましたが「お盆休みだからだよ! ボケッ!」っていう感じですね。 両組とも日本からの参列者がお見えになっていましたから。
ああ、それで思い当たりました。以前アイスランド大学に留学していたTさんという方があります。男性です。優秀な方で、なんとアイスランド語できちんと文章が書けるほどなのです。そしてさらにすごいことは -これは秘密ではないことを願いますが- ビル・ロビンソンの弟子かつ飲み仲間だった人です。
ビル・ロビンソンを知らない方もありましょうが、私が小学生の頃のテレビのヒーローです。詳しくはグーグルなさってみてください。
そのTさんも先週の頭からアイスランドへ遊びに来られています。Tさんもお盆休みを利用しながら来ているんだ、と、たった今、これを書きながら気が付きました。なんと、自分の周囲で何が起きているのかを把握できなくなってきている。ちょっとヤバいですね。
さて、先週を通してレイキャヴィクではReykjavik Prideというイベント⁄お祭りが行われていました。以前はGay Prideと呼ばれていましたが、いつのまにか名前が変わっています。またしても周囲を把握していないことを暴露。
アイスランド語では別の表現をしHinsegin dagar ヒンセイイン・ダーガーと呼びますが、ダーガーはえいごのdaysで「日々」のことですが、hinsegin/nというのは「変わった」とか「普通とは違う」を意味する形容詞ですので、「ちょっと変な連中のデー」というくらいの意味になるでしょう。
1999年に始まり、今回が二十周年ということになります。もともとは土曜日と次の日曜日くらいの規模だったのですが、評判と人気が高まるに連れ日程も長くなり始め、今年は先々週の8日から昨日の土曜日17日までの十日間となりました。
一番の呼び物は最終日土曜日のパレードです。Glediganganグレージィガンガン「喜びの行進」で、これには十万近い見物客がやってきます。間違いなくアイスランドでの最大級のイベントでしょう。
昨年の「喜びの行進」
Myndin er ur Hinsegindagar.is
もともとは同性愛者の人たちの権利拡張を訴える集まりだったのですが、一大人気イベントと化した現在では、観光収入面での「金のなる木」でもあるようで、イベント期間延長にも、きっとそのような下心があるのでしょう。
アイスランドではゲイの人たちの権利、そしてその人たちへの理解は、この二十年間、つまりゲイプライドの誕生とともに年毎に良い方向へ発展してきました。現在ではゲイの人たちの権利は世界でも「ベストいくつか」に入るくらいの水準を保っています。
同性結婚も2010年に法律の中に組み入れられました。世界では九番目とか。もちろん今でもいろいろと不備や偏見はありましょうが、これまでの状況や、日本を含む世界各地での状況を比較に取るならば、良く健闘していると言って過言ではないでしょう。
もちろん、二十年の間、順風満帆で権利が拡張してきたわけではありません。大変な人権無視の体験、ひどい差別の経験をした人も多いですし、ゲイの権利に賛成の側と反対の側で非常に「熱い」議論もありました。
国民教会はそのような議論の中で、かなり重要なポジションにありました。教会がどちらに回るかで、議論の流れは大きく変わり得ましたから。教会内部も賛否が完全に半々に割れた時期があります。
私自身もかなり積極的にその議論に参加しました。私は2002年の時点で同性結婚を推す意見を新聞に投稿していましたが、これは牧師連の中でもかなり「過激」な立場だったと思います。当時としては。
社会の中で、そしてことさら教会の中で議論が沸騰したのは、2009年から2010年にかけてだったでしょう。ここではあまり深いところまでは入れませんが、相当な誹謗中傷、個人的非難、脅迫のようなものが議論の中で乱れ飛んだと記憶しています。
そういう過程を経なければ、人権は拡張されないのです、残念ながら。静かに座っていただけでは、権利は歩いてきてはくれません。
ひとつ面白い経験をしました。賛否の両側からなんですが、私がゲイの権利に肩入れしていると「なぜそんなにサポートするのか?」と訊いてくるのです。言わんとしていることは「お前もゲイなんだろう?」ということ。
要するに「ゲイの肩を持つのはゲイだけ」というような無理解が常識のように蔓延していたのです。
ですが、実はこれは答えるのがなかなかデリケートな質問。答え:「私はゲイではない」 ですが、それを「とんでもない!私はゲイなんかじゃありませんよ!」とか答えたら、もろに自分の心の中にゲイへの偏見があることを示すことになってしまいます。
ですが、ゲイと勘違いされたくもないのです。なぜならバツイチで独り者のワタシは、できれば素敵な女性との良縁を再度手に入れたいのです。ゲイだと思われて女性に素通りされたら泣くに泣けないですからね。
私自身が担当させてもらった同性結婚 海上の船の上での式
社会が進歩したな、と思うのは、そのような質問をする態度というものが、自分自身に対しても、周りの誰かに対しても見受けられなくなったと感じるからです。ああいう経験は、あの時代のあの環境の中でのものだったんだろうと考えます。
その延長でひとつ考えることがあるんですよ。人って、いつ生まれるかによって確かに相当な運の良い悪いがあるなということです。
ゲイの人があるとして、その人が同じアイスランドでも1980年代に生まれたのと、2010年に生まれたのでは、相当に大きな違いがあることでしょう。単にある権利、例えば同性結婚が法的に認められているか否か、というようなことだけではありあません。
周囲が、社会が自分をどう見ているのか?自分の存在は根本的に間違っている、あるいは病的なものなのか?というような、人の存在の根本に関わるところで重荷を背負わされてきた人は相当数あったことでしょう。
Gay Pride の「プライド」というのは、そのような重荷を背負わされた人々の執着した言葉かもしれませんね。今ではそのプライドを高く掲げてパレードに参加できる。
Gayでない人だってプライドはありますからね。プライドとはもしかして、その人の在りようを映す鏡のようなものかもしれませんね。思っていたより奥が深い言葉なのかな?
「ゲイの人たち、今ではすべてOK」とは言えないでしょう。トランス・ジェンダーの人たちのこととか、ここでもまだまだ、私を含めて一般の理解は貧弱なようです。先があります。
が、全体としては良い方へ変わってきた、と考えたいです。完璧はそう簡単には達成できないでしょうが、「社会は進歩する」「人間はより良い理解に達することができる」ということは達成可能なものとしてキープしておくつもりです。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
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