先日の火曜日にお葬式がありました。といっても私が担当したわけではなくて、アイスランド人の友人のお父さんの式に参列したのです。九十歳と半年で天に召されたので大往生と言っていいと思います。この機会に少しこちらのお葬式 ー教会のお式ですがー とその前後について書いてみたいと思います。
ある人が亡くなった時、病院で入院していた場合などは周知の状況ですから問題はありません。事故や自宅などでの死去の場合は一応警察の捜査が入り、解剖が行われて事件性の有無が測られます。
死亡の通告はまず遺族のみになされ、たとえ交通事故のように事故そのものが先立って報道される場合でも、亡くなった方の氏名などは遺族の了解を得るまでは決して公表されません。遺族より先に一般の人がある方の死去を知ってしまうということを防ぐためです。
病院に牧師が付き添っていた場合は牧師から、そうでない場合には遺族関係者から葬儀会社へ連絡が行き、葬儀の準備が始まります。遺族が特定の牧師と関係がない場合には葬儀社が適当な ー原則には亡くなった方の教区の牧師さんですー 牧師を紹介します。
日本での通夜のような集まりはありません。非常に親しい人などは個々に弔問に行ったりすることはあります。多くの場合、遺族から新聞社に「死亡広告」という小さな囲みの記事が送られ、新聞に載せられます。これで一般の人に死去がアナウンスされるわけです。
通常はその後数日のうちに「納棺式」という小さな式が行われます。レイキャビクでは、普通の教会で行われるよりも、葬儀専用の教会に付属しているチャペルが用いられます。この式には近い親族のみが出席します。
アイスランドでは近親者が外国に在住していることも多々ありますので、その人たちが帰国するまで本葬を待つことも珍しくありません。そのため、時によっては本葬が亡くなってから2週間くらい経つこともあります。ご遺体はその間、きちんと保管されます。
お葬式そのものは教会で行われます。もちろん仏教徒の人などはそれ以外の場所が使われますが。教会での式は大体一時間くらいで、聖歌隊のコーラスと聖書の朗読、故人の生涯の紹介と祈りがなされます。
結婚式と違いお葬式には招待状がありませんので、誰でも参列できます。香典料のようなしきたりは一切ありません。
こちらの移民の人からよく「教会のお葬式に行くのだが、どのようなマナーがあるのか?」と訊かれることがよくあります。特にマナーはありませんが、地味な服装で行くこと、大声でしゃべらないこと、小さな子供は連れていかないこと、等の常識的なことは守るべきでしょう。
式の後に、参列者をもてなす茶菓の時間が教会のホールや別のホテル等で持たれるの普通です。
私のオフィスは教会にありますので、もちろん多くのお葬式を横目に見てきています。長寿を全うして亡くなられた方の式は、それほど悲しいものではなく、茶菓の席では笑い声が聞こえることもよくあります。参列者の数も、非常に高齢だった方の式ではそれほどは多くなりません。
まだ若い人が事故で亡くなった時などは、全く雰囲気が違い、これはやはり嫌ですね。つらいものがあります。学生の人の場合などクラスメートなどが大挙して参列しますから、教会堂に入りきれないことも予め予想され、モニターを設置して対応することもあります。
先日の友人の父上のお式は、それなりに高齢だったこともあり、気の重くなるような雰囲気ではありませんでした。教会ではお葬式は悲しいもの、という決めつけはなく、天寿を全うしたことを感謝し祝う、という意味も込められ得ます。今回はそちらの方だったと言っていいと思います。
ちなみに式から帰ってきて塩を撒く、などということもありませんので。
それにしても自分の葬儀を自分で見れないというのは宿命でしょうか?見てみたいなあ。誰が来て悲しんでくれるのか、誰が来ないか。恨みがつのるばっかか?見れない方がいいのかも、ですね。
応援します、若い力。Meet Iceland
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori アット gmail.com
ある人が亡くなった時、病院で入院していた場合などは周知の状況ですから問題はありません。事故や自宅などでの死去の場合は一応警察の捜査が入り、解剖が行われて事件性の有無が測られます。
死亡の通告はまず遺族のみになされ、たとえ交通事故のように事故そのものが先立って報道される場合でも、亡くなった方の氏名などは遺族の了解を得るまでは決して公表されません。遺族より先に一般の人がある方の死去を知ってしまうということを防ぐためです。
病院に牧師が付き添っていた場合は牧師から、そうでない場合には遺族関係者から葬儀会社へ連絡が行き、葬儀の準備が始まります。遺族が特定の牧師と関係がない場合には葬儀社が適当な ー原則には亡くなった方の教区の牧師さんですー 牧師を紹介します。
日本での通夜のような集まりはありません。非常に親しい人などは個々に弔問に行ったりすることはあります。多くの場合、遺族から新聞社に「死亡広告」という小さな囲みの記事が送られ、新聞に載せられます。これで一般の人に死去がアナウンスされるわけです。
通常はその後数日のうちに「納棺式」という小さな式が行われます。レイキャビクでは、普通の教会で行われるよりも、葬儀専用の教会に付属しているチャペルが用いられます。この式には近い親族のみが出席します。
アイスランドでは近親者が外国に在住していることも多々ありますので、その人たちが帰国するまで本葬を待つことも珍しくありません。そのため、時によっては本葬が亡くなってから2週間くらい経つこともあります。ご遺体はその間、きちんと保管されます。
お葬式そのものは教会で行われます。もちろん仏教徒の人などはそれ以外の場所が使われますが。教会での式は大体一時間くらいで、聖歌隊のコーラスと聖書の朗読、故人の生涯の紹介と祈りがなされます。
結婚式と違いお葬式には招待状がありませんので、誰でも参列できます。香典料のようなしきたりは一切ありません。
こちらの移民の人からよく「教会のお葬式に行くのだが、どのようなマナーがあるのか?」と訊かれることがよくあります。特にマナーはありませんが、地味な服装で行くこと、大声でしゃべらないこと、小さな子供は連れていかないこと、等の常識的なことは守るべきでしょう。
式の後に、参列者をもてなす茶菓の時間が教会のホールや別のホテル等で持たれるの普通です。
私のオフィスは教会にありますので、もちろん多くのお葬式を横目に見てきています。長寿を全うして亡くなられた方の式は、それほど悲しいものではなく、茶菓の席では笑い声が聞こえることもよくあります。参列者の数も、非常に高齢だった方の式ではそれほどは多くなりません。
まだ若い人が事故で亡くなった時などは、全く雰囲気が違い、これはやはり嫌ですね。つらいものがあります。学生の人の場合などクラスメートなどが大挙して参列しますから、教会堂に入りきれないことも予め予想され、モニターを設置して対応することもあります。
先日の友人の父上のお式は、それなりに高齢だったこともあり、気の重くなるような雰囲気ではありませんでした。教会ではお葬式は悲しいもの、という決めつけはなく、天寿を全うしたことを感謝し祝う、という意味も込められ得ます。今回はそちらの方だったと言っていいと思います。
ちなみに式から帰ってきて塩を撒く、などということもありませんので。
それにしても自分の葬儀を自分で見れないというのは宿命でしょうか?見てみたいなあ。誰が来て悲しんでくれるのか、誰が来ないか。恨みがつのるばっかか?見れない方がいいのかも、ですね。
応援します、若い力。Meet Iceland
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