いつも新宿の京王プラザホテルのレストランで行われる。
別にどちらがそうと決めたわけではないけれどこの何年間はいつもここでミーティングを行っている。
音楽関係の人との打ち合わせは青山、渋谷の辺りで行うのが普通だと思ってきたが、出版関係の人との打ち合わせは新宿だとか神田だとかどうもそういう場所になってしまう。
これがナゼなのかは私自身もそれほどよくわかっているわけではない。
ただ、何となく…としか言いようがない。
ともかく、昨日も、現在進行中の妻の恵子の病気と音楽とかリハビリとか介護とかそういったことがテーマの本の打ち合わせだ。
S氏は最初の私の原稿に手を入れてくれて持ってきてくれた。
私が予想していたほど赤は入っていなかったけれども、彼曰く「冒頭にパンチがいまいちないね。もっとドラマチックに書いた方が良いと思いますよ。裏切られたとか、悔しいとか、悲しいとかの叫びがもっとあった方が読者はひきつけられるわけで、みつとみさんは、けっこうクールに表現し過ぎているんじゃないかな?」。
まあ、同じことを恵子にも言われた。
二人でいる時に病院のあるシーンを思い出し多少感情的になった私を見て、すかさず彼女は「そうそう、その感情をそのまま文章にすればいいじゃない。それ書いた?」
いや、実は書いていないのだ。
自分の中ではけっこうそういう感情がサラっと通り過ぎてしまう。
感情的にはいつも「熱い」はずなのだが、文章にするとちょっと冷めてしまう。これが私の欠点なのかも?
最近ちょっとこのことを少し意識するようにしている。
S氏が聞く。「奥さん、その後具合どうですか?伊豆の方の病院通っているんでしょう?」
「ええ、もちろん通ってますよ。そう、それで発見したんですが、今通院している伊豆のリハビリ病院のレベルは意外なことにけっこう高いんですよ。最初は田舎の病院かナ?と思っていたんだけど、これがけっこうバカにはできないんですよ」と言うと彼は「で、具体的にどういうところが違うんですか?」とすかさず突っ込んでくる(編集者は「あ、そう」みたいにいい加減に人のことばを鵜呑みにしたりはしない)。
「ええ、別に難しいリハビリをやるとかそういうことではなくって、それとは全く逆で、これまでやってきたさまざまなリハビリの意味を基礎の部分から全てきちんとまとめ直してくれるというか、そう、そういう意味では、けっこう全てが腑に落ちるんですよ。例えば、今はどんどん回復してきて最初はできなかった動きなんかとやろうとしているわけですが、それを無理にやろうとすると、結果、身体の筋肉を無理に使って麻痺を固めてしまうようなことにもなってしまうので、それを避けるために、力を抜いて無理のない合理的な訓練方法を教えてくれるんですよ」とここまで言うとS氏は、初めて「ふうん、それはいいネ。」とあいづちを打ってくれた。
「ここは、今度の本の一番深いところでのテーマでもあると私は思うんですけど、キーワードは<頑張らずに頑張る>ということ。これをいかにわかりやすう表現していけるかどうかが鍵のような気がしてます。伊豆の療法士さんもいつも言っているのは、無理に早く歩こうとすると早く歩くことはできてもハタで見ていてけっしてきれいな動きにはならないということ。いかにも脳卒中患者の歩き、みたいになるので絶対に無理に早く歩こうとしない方が良いと彼は言います。多分、これが一番のポイントなんじゃないかナ…。楽器でも、無理に演奏しようとするとけっしてきれいな身体の形にはならないし、音や演奏も美しいものにはならない。それと一緒のような気がするんだけど…」。
恵子が今一番力点を置いているのは「脱力」の方法。
いかに肩や上半身から力を抜いて身体を自然な動きに戻すかということ。
ムクミやシビレ(痛みがないというのは幸いだが)に常に悩まされている麻痺した右半身から脱力して自然な動きを取り戻すかという課題に毎日二人で取り組んでいるがなかなかこれがそう一筋縄でいく相手ではない。
別にどちらがそうと決めたわけではないけれどこの何年間はいつもここでミーティングを行っている。
音楽関係の人との打ち合わせは青山、渋谷の辺りで行うのが普通だと思ってきたが、出版関係の人との打ち合わせは新宿だとか神田だとかどうもそういう場所になってしまう。
これがナゼなのかは私自身もそれほどよくわかっているわけではない。
ただ、何となく…としか言いようがない。
ともかく、昨日も、現在進行中の妻の恵子の病気と音楽とかリハビリとか介護とかそういったことがテーマの本の打ち合わせだ。
S氏は最初の私の原稿に手を入れてくれて持ってきてくれた。
私が予想していたほど赤は入っていなかったけれども、彼曰く「冒頭にパンチがいまいちないね。もっとドラマチックに書いた方が良いと思いますよ。裏切られたとか、悔しいとか、悲しいとかの叫びがもっとあった方が読者はひきつけられるわけで、みつとみさんは、けっこうクールに表現し過ぎているんじゃないかな?」。
まあ、同じことを恵子にも言われた。
二人でいる時に病院のあるシーンを思い出し多少感情的になった私を見て、すかさず彼女は「そうそう、その感情をそのまま文章にすればいいじゃない。それ書いた?」
いや、実は書いていないのだ。
自分の中ではけっこうそういう感情がサラっと通り過ぎてしまう。
感情的にはいつも「熱い」はずなのだが、文章にするとちょっと冷めてしまう。これが私の欠点なのかも?
最近ちょっとこのことを少し意識するようにしている。
S氏が聞く。「奥さん、その後具合どうですか?伊豆の方の病院通っているんでしょう?」
「ええ、もちろん通ってますよ。そう、それで発見したんですが、今通院している伊豆のリハビリ病院のレベルは意外なことにけっこう高いんですよ。最初は田舎の病院かナ?と思っていたんだけど、これがけっこうバカにはできないんですよ」と言うと彼は「で、具体的にどういうところが違うんですか?」とすかさず突っ込んでくる(編集者は「あ、そう」みたいにいい加減に人のことばを鵜呑みにしたりはしない)。
「ええ、別に難しいリハビリをやるとかそういうことではなくって、それとは全く逆で、これまでやってきたさまざまなリハビリの意味を基礎の部分から全てきちんとまとめ直してくれるというか、そう、そういう意味では、けっこう全てが腑に落ちるんですよ。例えば、今はどんどん回復してきて最初はできなかった動きなんかとやろうとしているわけですが、それを無理にやろうとすると、結果、身体の筋肉を無理に使って麻痺を固めてしまうようなことにもなってしまうので、それを避けるために、力を抜いて無理のない合理的な訓練方法を教えてくれるんですよ」とここまで言うとS氏は、初めて「ふうん、それはいいネ。」とあいづちを打ってくれた。
「ここは、今度の本の一番深いところでのテーマでもあると私は思うんですけど、キーワードは<頑張らずに頑張る>ということ。これをいかにわかりやすう表現していけるかどうかが鍵のような気がしてます。伊豆の療法士さんもいつも言っているのは、無理に早く歩こうとすると早く歩くことはできてもハタで見ていてけっしてきれいな動きにはならないということ。いかにも脳卒中患者の歩き、みたいになるので絶対に無理に早く歩こうとしない方が良いと彼は言います。多分、これが一番のポイントなんじゃないかナ…。楽器でも、無理に演奏しようとするとけっしてきれいな身体の形にはならないし、音や演奏も美しいものにはならない。それと一緒のような気がするんだけど…」。
恵子が今一番力点を置いているのは「脱力」の方法。
いかに肩や上半身から力を抜いて身体を自然な動きに戻すかということ。
ムクミやシビレ(痛みがないというのは幸いだが)に常に悩まされている麻痺した右半身から脱力して自然な動きを取り戻すかという課題に毎日二人で取り組んでいるがなかなかこれがそう一筋縄でいく相手ではない。