また満席状態で無事終えた。いつも料理の準備が先で肝心の演奏の準備はどちらかというと後回しになってしまう。それでも、今回は久しぶりにベースの田村くんとも共演できたし、ギターの小林くんとスパニッシュ風「サクラサクラ」なる何とも怪し気な即興演奏にも挑戦できたことがとても嬉しかった(というより、こんな風にやろうと提案したのは私の方なのだけれども)。
そう、あともう一つ。前々から歌いたかったチャプリンの名曲「スマイル」を歌うことができたのも収穫の一つだ。でも、ライブで私があの曲を歌い出すとはきっと誰も思わなかったに違いない。私が以前TVコマーシャル(木田建設という会社のCMだ)で歌ったことがあることを知っている人はそれほどいないだろうからネ(ハハハ)。
まあ、それはいいとして、昨日東京国際フォーラムで見たマリアパヘス舞踊団のフラメンコはかなり面白かった。けっこう見なれているはずなのに、フラメンコは見るたびに新鮮な発見がある。この舞踊団の振り付けでは扇子が楽器代わりに使われていた(しかも、かなりカッコよく)。これがごく普通のことなのかどうかはわからないけれども、やはりフラメンコそのものがジプシーの踊りが原形だということは容易に理解できる場面でもあった。
そして、ショスタコビッチの「ジャズワルツ第二番」が使われていたのももう一つの発見だ。考えてみればかなりジンタっぽい響きのあの曲(つまり演歌っぽいということ)がフラメンコにあうのはある意味当然かもしれない。なにせ、フラメンコそのものが、ファドなどと同様演歌にかなり近い存在だからだ。
人間の肉体が「美しく極限に動く」ということは、スポーツ同様、人に「生きている」ことの喜びを素直に与えてくれる。そこが踊りの素晴らしさだ。
マリパヘスを見た後、家に戻り大河ドラマの「篤姫」を見る。TVはあまり見ないし、ましてやドラマとなると全くと言っていいほど見ないのだが、今回は篤姫が題材なので、好んで見ている。
この天璋院篤姫という存在はとてもユニークな存在で、幕末の日本の運命を影で操っていた人の一人と言ってもいい女性だ。幕末の日本で、女性という立場から歴史を動かしていた人なのに皇女和宮ほど名前は出てこないが、13代将軍家定の妃として世継ぎを残さなかったにもかかわらずその後の家茂、慶喜らが京都の宮廷や幕末の志士たちの動乱をさも冷静に見つめて日本をあるべき方向に導いていったかなり存在感のある女性だ。
そんな偉大な女性が題材なのだが、やはりそこは日本のTVドラマの限界で、ほとんどの役がミスキャスト(知名度だけでキャスティングする日本のTV界にはありがちなことだが、これが日本のTVドラマの質を向上させない根本的な理由)。 中でも一番いただけないのがこの篤姫を演じる宮崎あおい。演技がヘタとかうまいのレベルではない。よくまああれで大河ドラマの主役がつとまるものだと思うが、そこがまあ大河ドラマだからなのだろう。彼女の表情を見ていても、この人は一体今は「悲しんでいるのだろうか?」「嬉しいのだろうか?」がサッパリわからない。篤姫という歴史上の人物の実際の流れをいちおう把握しているから、「ここでは悲しいはず」とか「ここでは嬉しいはずだ」とこっちが勝手に理解できるのだが、宮崎あおいの顔を見ていても主人公の心の動きはほとんどわからない。
「じゃあ、何で見るんだよ」と突っ込まれそうだが、まあ、それでもそれなりに面白い場面や役者はきちんといるのでドラマとしての興味はそこそこあるからだ。でも、時代考証は「いいのかナ?」という場面にかなり出くわす。この前も婚礼の場面があり、花嫁が白無垢の衣裳を着ていたけれど、「江戸時代はまだ白無垢の花嫁衣裳はなかったのでは?」とつい思ってしまう。私だって歴史学者でも何でもないので、自分の智識がどれだけ正しいかはわからないが、どれだけしっかりと時代考証がされているのかはけっこう気になってしまう。まあ、要するにこれだけ突っ込みどころのあるドラマだからこそつい見てしまうのかナ?(あまり誉められた理由ではないけれども)。
そう、あともう一つ。前々から歌いたかったチャプリンの名曲「スマイル」を歌うことができたのも収穫の一つだ。でも、ライブで私があの曲を歌い出すとはきっと誰も思わなかったに違いない。私が以前TVコマーシャル(木田建設という会社のCMだ)で歌ったことがあることを知っている人はそれほどいないだろうからネ(ハハハ)。
まあ、それはいいとして、昨日東京国際フォーラムで見たマリアパヘス舞踊団のフラメンコはかなり面白かった。けっこう見なれているはずなのに、フラメンコは見るたびに新鮮な発見がある。この舞踊団の振り付けでは扇子が楽器代わりに使われていた(しかも、かなりカッコよく)。これがごく普通のことなのかどうかはわからないけれども、やはりフラメンコそのものがジプシーの踊りが原形だということは容易に理解できる場面でもあった。
そして、ショスタコビッチの「ジャズワルツ第二番」が使われていたのももう一つの発見だ。考えてみればかなりジンタっぽい響きのあの曲(つまり演歌っぽいということ)がフラメンコにあうのはある意味当然かもしれない。なにせ、フラメンコそのものが、ファドなどと同様演歌にかなり近い存在だからだ。
人間の肉体が「美しく極限に動く」ということは、スポーツ同様、人に「生きている」ことの喜びを素直に与えてくれる。そこが踊りの素晴らしさだ。
マリパヘスを見た後、家に戻り大河ドラマの「篤姫」を見る。TVはあまり見ないし、ましてやドラマとなると全くと言っていいほど見ないのだが、今回は篤姫が題材なので、好んで見ている。
この天璋院篤姫という存在はとてもユニークな存在で、幕末の日本の運命を影で操っていた人の一人と言ってもいい女性だ。幕末の日本で、女性という立場から歴史を動かしていた人なのに皇女和宮ほど名前は出てこないが、13代将軍家定の妃として世継ぎを残さなかったにもかかわらずその後の家茂、慶喜らが京都の宮廷や幕末の志士たちの動乱をさも冷静に見つめて日本をあるべき方向に導いていったかなり存在感のある女性だ。
そんな偉大な女性が題材なのだが、やはりそこは日本のTVドラマの限界で、ほとんどの役がミスキャスト(知名度だけでキャスティングする日本のTV界にはありがちなことだが、これが日本のTVドラマの質を向上させない根本的な理由)。 中でも一番いただけないのがこの篤姫を演じる宮崎あおい。演技がヘタとかうまいのレベルではない。よくまああれで大河ドラマの主役がつとまるものだと思うが、そこがまあ大河ドラマだからなのだろう。彼女の表情を見ていても、この人は一体今は「悲しんでいるのだろうか?」「嬉しいのだろうか?」がサッパリわからない。篤姫という歴史上の人物の実際の流れをいちおう把握しているから、「ここでは悲しいはず」とか「ここでは嬉しいはずだ」とこっちが勝手に理解できるのだが、宮崎あおいの顔を見ていても主人公の心の動きはほとんどわからない。
「じゃあ、何で見るんだよ」と突っ込まれそうだが、まあ、それでもそれなりに面白い場面や役者はきちんといるのでドラマとしての興味はそこそこあるからだ。でも、時代考証は「いいのかナ?」という場面にかなり出くわす。この前も婚礼の場面があり、花嫁が白無垢の衣裳を着ていたけれど、「江戸時代はまだ白無垢の花嫁衣裳はなかったのでは?」とつい思ってしまう。私だって歴史学者でも何でもないので、自分の智識がどれだけ正しいかはわからないが、どれだけしっかりと時代考証がされているのかはけっこう気になってしまう。まあ、要するにこれだけ突っ込みどころのあるドラマだからこそつい見てしまうのかナ?(あまり誉められた理由ではないけれども)。
みつとみシェフのディナーならきっと美味しいと思います。
篤姫はみていませんが、nhkにコメント送っちゃったらいいと思います。
みているほうも現実味ないとつまんないんですよね。