5/29に渋谷のJZBratで行われた揚琴の金亜軍さんとの私のライブコンサートに来ることが恵子にとっては、退院後初めての「大冒険」となった。
外出そのものの体験がまだあまりないし、杖でやっと歩ける状態のリハビリ途中の脳疾患患者が無謀にもまったくバリアフリーではない環境に飛び込もうというのだからこちらもかなりヒヤヒヤものだったことは確かだった。
現在の恵子は長時間同じ姿勢で座っていること自体が苦痛なので、なるべく会場にいる時間は短くしたいと思い送り迎えは私ではなく別の人にお願いした。
20センチぐらいの段差が至るところにあるし手すりは全くないし、健常者には何でもない環境でも恵子のような身体の人間には「試練」以外の何ものでもない。
ライブの数日前、トイレや段差などを確かめに会場に下見に行った時は正直メゲ、「これは無理だな。こんな場所で歩くことはまだ彼女には不可能だ」。
本当にそう思えた。
だから、私の心は「恵子を連れていかない」というチョイスに傾きかけていた。
しかし、一方で「恵子に会うのを楽しみしていてお客様をがっかりさせてしまう」という思いと、「今ここで試練から逃げていては病気、リハビリそのものから逃げてしまうことになる」と思い、その夜彼女をじっくり話し合って、私が本番前にちゃんと彼女をトイレに行かせ席につけて見守り、休憩時間もずっと彼女の面倒を見るということで彼女も客席に座ることに決めた。
結果、今は「本当にコンサートに行ってヨカッタ」と二人で心から思っている。
なぜなら、このコンサートデビューの「ビフォー」「アフター」で、恵子の中で何かが決定的に変わったからだ。
今日は一週間ぶりに伊豆の自宅に帰り病院でのリハビリに行ったのだが、療法士さんたちもビックリするほど彼女は回復していた。
彼女にしてみれば、「一晩コンサートと普通の人たちとじっくり楽しめた」ことが自信になったようだし、試練だと思えた環境そのものが彼女のリハビリの助けになっていたのかもしれない。
彼女曰く「音楽の力だよ」。
音楽家にとってはウソでも嬉しいことばだが40年夫婦として連れ添った相手に今さらお世辞を言ってもしょうがないだろうから、きっと彼女の本心なのだろう。
「音楽の力」。本当にこのことばを今日ほど信じたいと思った時はない。
外出そのものの体験がまだあまりないし、杖でやっと歩ける状態のリハビリ途中の脳疾患患者が無謀にもまったくバリアフリーではない環境に飛び込もうというのだからこちらもかなりヒヤヒヤものだったことは確かだった。
現在の恵子は長時間同じ姿勢で座っていること自体が苦痛なので、なるべく会場にいる時間は短くしたいと思い送り迎えは私ではなく別の人にお願いした。
20センチぐらいの段差が至るところにあるし手すりは全くないし、健常者には何でもない環境でも恵子のような身体の人間には「試練」以外の何ものでもない。
ライブの数日前、トイレや段差などを確かめに会場に下見に行った時は正直メゲ、「これは無理だな。こんな場所で歩くことはまだ彼女には不可能だ」。
本当にそう思えた。
だから、私の心は「恵子を連れていかない」というチョイスに傾きかけていた。
しかし、一方で「恵子に会うのを楽しみしていてお客様をがっかりさせてしまう」という思いと、「今ここで試練から逃げていては病気、リハビリそのものから逃げてしまうことになる」と思い、その夜彼女をじっくり話し合って、私が本番前にちゃんと彼女をトイレに行かせ席につけて見守り、休憩時間もずっと彼女の面倒を見るということで彼女も客席に座ることに決めた。
結果、今は「本当にコンサートに行ってヨカッタ」と二人で心から思っている。
なぜなら、このコンサートデビューの「ビフォー」「アフター」で、恵子の中で何かが決定的に変わったからだ。
今日は一週間ぶりに伊豆の自宅に帰り病院でのリハビリに行ったのだが、療法士さんたちもビックリするほど彼女は回復していた。
彼女にしてみれば、「一晩コンサートと普通の人たちとじっくり楽しめた」ことが自信になったようだし、試練だと思えた環境そのものが彼女のリハビリの助けになっていたのかもしれない。
彼女曰く「音楽の力だよ」。
音楽家にとってはウソでも嬉しいことばだが40年夫婦として連れ添った相手に今さらお世辞を言ってもしょうがないだろうから、きっと彼女の本心なのだろう。
「音楽の力」。本当にこのことばを今日ほど信じたいと思った時はない。
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