の密接な関連についてはいくら言っても言い足りないものがある。
ただ不思議なのはこの2つの分野の専門家たちのどちらもがあまりそのこと(音楽とリハビリが結びついているということ)に気づいていないことだ。
きっと私のように音楽の専門家の家族がリハビリをしなければならなくなるような状況で初めてその事実に気づくのかもしれない。
恵子のリハビリの過程で音楽という要素をどれだけ生かしてきているかは、いろいろな具体的な例を示せばよくわかるかもしれない。
例えば、ベッドからの起き上がり。
身体の不自由な人間、あるいは老齢で介護が必要な人にとってベッドから「起き上がる」ことはそれほど簡単なことではない。
普通、健常者でも寝ている状態から身体を起こして起き上がるためにかなりの筋力とタイミングが必要だ。
あおむけの状態から真っすぐ身体を起こすには「腹筋」の力が必要。
こんなことは誰にでもわかること。
もし、この腹筋の力がなかったとすれば、身体を横向きにして腕の肘などの力で起き上がるしかない(あるいは、介助ベッドの手すりなどを利用して)。
しかしながら、恵子のように身体の半分が麻痺してしまったような患者は、基本的に筋力ゼロの状態から起き上がらなければならない。
その時何が必要になるのか?
これはもうタイミングしかない。
顔を足の方に向け覗き込むようにして(つまりエビのように身体を曲げ)、腕の肘をベッドに押し付けて「1、2、3」で一気に力を下にかけて上体を持ち上げるしか方法はない。
しかしながら、このタイミングが狂うと身体はまったく動かない。
恵子は最初のこの起き上がりにとても苦労していて手すりばかり利用していたのだが、私が「1、2、3~の<3>のところに思いっきりアクセントをつけて<サ~ン>と伸ばしておき上がれば絶対にうまくいくから」と教えその通りやってすぐに成功した。
その時、私はこうも付け加えた。
「これは絶対に声を出してタイミングを取ること。それじゃないと成功しないよ。声に出せば集中力が増すんだから」。
この発声をしながらタイミングを取るというのは、音楽にとっては基本的なことだと私は思っている。
2拍子にしろ3拍子にしろ声に出して音に出してリズムを作らなければグルーブは絶対に生まれない。
リハビリにグルーブもないもんだと思うかもしれないが、グルーブというのはすなわち「身体の動き」なのだから、グルーブを作ること自体がリハビリだと私は思っている。
先日の自宅への一時帰宅の時、恵子が台所で一瞬倒れかかった。
足から崩れかかったのだが私が横から抱きかかえて事なきを得た。
この時、彼女が倒れかかった原因ははっきりしている。
彼女が歩いている時、目の前のドアが急に開いたからだ。
予期せぬものを見た瞬間に足がすくみそれまできちんと交互に足が出ていたのがリズムを崩され足が崩れてしまったのだ。
要するに、歩くことの集中力を乱されてしまった結果が転倒につながってしまうということなのだ(幸いこの時転倒はしなかったが、もし私がすぐそばにいなかったら確実に彼女は転倒していただろう)。
私たち健常者も時々転ぶ。
そして、その転ぶ原因は前にモノがあったり、つまづいたり、横からふいに押されたりというさまざまな原因で転ぶのだが、そのいずれも、予期せぬモノに邪魔された結果だ。
足が順調に前に交互にテンポ良く出ていれば人間は普通転ばない。
でも、こうした不意の出来事で身体の集中が切れたり、邪魔されたりすることによって人は転倒する。
子供がよく転ぶのは上半身の方が重くバランスが取れていないことと、この足のリズムがいい加減だからだ(子供は好き勝手に足を出そうとするから)。
このリズムや集中を作るのが「音楽」そのものなのだけれども(これを教えるのがリトミック)、普通の人はそんな風には考えない。
ただ、前に交互に足が出る。だから、歩く。
そういう風にしか考えない。
でも、その足が常に一定のテンポでリズミックに交互に前に出るという行為を可能にしているのは人の持っている「音楽性」と「音楽脳」の仕業に他ならない。
脳卒中で左脳にダメージを受ける人は言語に麻痺を持つ人が多い。
幸い、恵子は左脳にダメージがあったにもかかわらず言語機能に障害は残らなかった。
そうした言語に麻痺のある人でも「歌は歌える」人が多い。
つまり、「歌を歌う脳」は右脳だから左脳のダメージの影響を受けにくいのだ。
ということは、人間にはもともとこの「音楽脳」というものが備わっているということになる。
これまでの研究によれば(そういうことを研究されている学者さんたちの本を幾つか読むと)、この音楽脳というのはとても「タフ」なのだそうだ。
左脳の言語脳のようにすぐにダメージを受けることなく、けっこうタフに活動を続ける「強い脳」なのだという。
だからこそ、この「音楽脳」を利用したリハビリというのは絶対に効果があるし、これからも真剣に考えなければならないことなのだと私は思っている。
先日も、療法士さんが恵子に杖をついて歩く時「1、2、3、…」「1、2、3、…」とタイミングを取りながら歩きなさいと教えていた。
人間の歩行に3拍子というのはあり得ないのだけれども、この療法士さんが言うのは、「杖、右足、左足、タメる(留まるという意味)」のタイミングの取り方を教えていたのだと思う(結果的に4拍子の歩行を教えていたことになる)。
しかしながら、このタイミングの取り方で恵子はバランスを崩してしまったのだ。
あまりにも1拍目の「杖」の部分を意識し過ぎたからだ。
やってみるとわかるが、杖と足の交互の動きをこうやって数字でリズミカルに動かして行くのは素人がタップダンスを踊るぐらい難しい。
なので、私は恵子にまったく違うタイミングの取り方を教えた。
「1、2(右)、3、4(左)」でタイミングを取って歩いてごらん。杖はあってもなくてもいいの。実際の人間は杖なしでタイミングを取るんだから、杖の分を勘定に入れるとかえって頭と足が混乱するから、杖はどこで出してもよいからなにしろ、1、2、3.4でタイミングを取るように」
恵子の頭はこれでスッキリしたようだ(杖は単に『転ばぬ先の杖』なのだから)。
本来の足の動きは2拍子なので本当は「1、2」のタイミングで足を出せと教えるべきなのだが、まだゆっくりしか歩けない恵子は「遅い2拍子」よりも「早い4拍子」の方が的確にタイミングを取れる。
そう思っただけのことだ。
音楽療法などと大上段に構えなくても、理学療法とか作業療法の人たちがもうちょっと音楽的な頭でリハビリを行えばそれで済むことなのにナと考えることしきりだ。
ただ不思議なのはこの2つの分野の専門家たちのどちらもがあまりそのこと(音楽とリハビリが結びついているということ)に気づいていないことだ。
きっと私のように音楽の専門家の家族がリハビリをしなければならなくなるような状況で初めてその事実に気づくのかもしれない。
恵子のリハビリの過程で音楽という要素をどれだけ生かしてきているかは、いろいろな具体的な例を示せばよくわかるかもしれない。
例えば、ベッドからの起き上がり。
身体の不自由な人間、あるいは老齢で介護が必要な人にとってベッドから「起き上がる」ことはそれほど簡単なことではない。
普通、健常者でも寝ている状態から身体を起こして起き上がるためにかなりの筋力とタイミングが必要だ。
あおむけの状態から真っすぐ身体を起こすには「腹筋」の力が必要。
こんなことは誰にでもわかること。
もし、この腹筋の力がなかったとすれば、身体を横向きにして腕の肘などの力で起き上がるしかない(あるいは、介助ベッドの手すりなどを利用して)。
しかしながら、恵子のように身体の半分が麻痺してしまったような患者は、基本的に筋力ゼロの状態から起き上がらなければならない。
その時何が必要になるのか?
これはもうタイミングしかない。
顔を足の方に向け覗き込むようにして(つまりエビのように身体を曲げ)、腕の肘をベッドに押し付けて「1、2、3」で一気に力を下にかけて上体を持ち上げるしか方法はない。
しかしながら、このタイミングが狂うと身体はまったく動かない。
恵子は最初のこの起き上がりにとても苦労していて手すりばかり利用していたのだが、私が「1、2、3~の<3>のところに思いっきりアクセントをつけて<サ~ン>と伸ばしておき上がれば絶対にうまくいくから」と教えその通りやってすぐに成功した。
その時、私はこうも付け加えた。
「これは絶対に声を出してタイミングを取ること。それじゃないと成功しないよ。声に出せば集中力が増すんだから」。
この発声をしながらタイミングを取るというのは、音楽にとっては基本的なことだと私は思っている。
2拍子にしろ3拍子にしろ声に出して音に出してリズムを作らなければグルーブは絶対に生まれない。
リハビリにグルーブもないもんだと思うかもしれないが、グルーブというのはすなわち「身体の動き」なのだから、グルーブを作ること自体がリハビリだと私は思っている。
先日の自宅への一時帰宅の時、恵子が台所で一瞬倒れかかった。
足から崩れかかったのだが私が横から抱きかかえて事なきを得た。
この時、彼女が倒れかかった原因ははっきりしている。
彼女が歩いている時、目の前のドアが急に開いたからだ。
予期せぬものを見た瞬間に足がすくみそれまできちんと交互に足が出ていたのがリズムを崩され足が崩れてしまったのだ。
要するに、歩くことの集中力を乱されてしまった結果が転倒につながってしまうということなのだ(幸いこの時転倒はしなかったが、もし私がすぐそばにいなかったら確実に彼女は転倒していただろう)。
私たち健常者も時々転ぶ。
そして、その転ぶ原因は前にモノがあったり、つまづいたり、横からふいに押されたりというさまざまな原因で転ぶのだが、そのいずれも、予期せぬモノに邪魔された結果だ。
足が順調に前に交互にテンポ良く出ていれば人間は普通転ばない。
でも、こうした不意の出来事で身体の集中が切れたり、邪魔されたりすることによって人は転倒する。
子供がよく転ぶのは上半身の方が重くバランスが取れていないことと、この足のリズムがいい加減だからだ(子供は好き勝手に足を出そうとするから)。
このリズムや集中を作るのが「音楽」そのものなのだけれども(これを教えるのがリトミック)、普通の人はそんな風には考えない。
ただ、前に交互に足が出る。だから、歩く。
そういう風にしか考えない。
でも、その足が常に一定のテンポでリズミックに交互に前に出るという行為を可能にしているのは人の持っている「音楽性」と「音楽脳」の仕業に他ならない。
脳卒中で左脳にダメージを受ける人は言語に麻痺を持つ人が多い。
幸い、恵子は左脳にダメージがあったにもかかわらず言語機能に障害は残らなかった。
そうした言語に麻痺のある人でも「歌は歌える」人が多い。
つまり、「歌を歌う脳」は右脳だから左脳のダメージの影響を受けにくいのだ。
ということは、人間にはもともとこの「音楽脳」というものが備わっているということになる。
これまでの研究によれば(そういうことを研究されている学者さんたちの本を幾つか読むと)、この音楽脳というのはとても「タフ」なのだそうだ。
左脳の言語脳のようにすぐにダメージを受けることなく、けっこうタフに活動を続ける「強い脳」なのだという。
だからこそ、この「音楽脳」を利用したリハビリというのは絶対に効果があるし、これからも真剣に考えなければならないことなのだと私は思っている。
先日も、療法士さんが恵子に杖をついて歩く時「1、2、3、…」「1、2、3、…」とタイミングを取りながら歩きなさいと教えていた。
人間の歩行に3拍子というのはあり得ないのだけれども、この療法士さんが言うのは、「杖、右足、左足、タメる(留まるという意味)」のタイミングの取り方を教えていたのだと思う(結果的に4拍子の歩行を教えていたことになる)。
しかしながら、このタイミングの取り方で恵子はバランスを崩してしまったのだ。
あまりにも1拍目の「杖」の部分を意識し過ぎたからだ。
やってみるとわかるが、杖と足の交互の動きをこうやって数字でリズミカルに動かして行くのは素人がタップダンスを踊るぐらい難しい。
なので、私は恵子にまったく違うタイミングの取り方を教えた。
「1、2(右)、3、4(左)」でタイミングを取って歩いてごらん。杖はあってもなくてもいいの。実際の人間は杖なしでタイミングを取るんだから、杖の分を勘定に入れるとかえって頭と足が混乱するから、杖はどこで出してもよいからなにしろ、1、2、3.4でタイミングを取るように」
恵子の頭はこれでスッキリしたようだ(杖は単に『転ばぬ先の杖』なのだから)。
本来の足の動きは2拍子なので本当は「1、2」のタイミングで足を出せと教えるべきなのだが、まだゆっくりしか歩けない恵子は「遅い2拍子」よりも「早い4拍子」の方が的確にタイミングを取れる。
そう思っただけのことだ。
音楽療法などと大上段に構えなくても、理学療法とか作業療法の人たちがもうちょっと音楽的な頭でリハビリを行えばそれで済むことなのにナと考えることしきりだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます