みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

運が悪かった

2012-05-01 22:11:28 | Weblog
ということばを4月から通院している中伊豆リハビリテーションセンターのS医師の口から今日聞き、ちょっとした違和感を覚えた。
私も恵子もこのS医師のことは大好きで尊敬もしているので,別に彼のことばに文句があるわけではない。
ただ、私も恵子も今回の病気の件に関しては「運が良かった」と思ってきたので、今日医師の口から「運が悪かった」ということばにちょっとだけ違和感を覚えたのだ。
先日この病院へ転院してきて初めてCTスキャンを撮った。
その画像をS医師が解析してくれた中で彼の口から出たのが先のことばだ。
発症直後や急性期病院を退院直前に撮ったCT画像には出血の跡が3cmほどくっきりと写っていた。
しかし、今回の画像ではその跡が1cmほどに縮小していた。
急性期病院のK医師が言っていた「そのうち体内に吸収されて無くなってしまいますよ」ということばが正しいのかと思いきや、S医師は「小さくはなっていくけど、完全に無くなってしまうことはないでしょう」。
でも、そんなことが問題なのではなく、その出血が「脳の運動野で起こった」ことだとS医師は言う。
「これが運動野ではなく、もうちょっと前か後ろにずれていれば手足の麻痺は残らなかった可能性もあります」。
そういう意味での「運が悪かった」ということだ。
つまり、「運が良ければ、麻痺なんか残らなかったかもしれないよ」とS医師は言ってくれているのだ。
確かにそうかもしれないが、私と恵子は恵子の出血が「認知機能」や「言語機能」「記憶機能」を麻痺させなかったことを「運が良かった」と、とらえていた。
もし、恵子にことばの障害があったとしたら…。
考えるだに恐ろしい。
ひょっとして、今のように「明るいリハビリ」などと言っていられたかどうか。
手足の麻痺とつきあっていくのだけでも相当にしんどいことなのに、ましてやことばにも障害があり認知機能までが犯されていたとしたら、私は今のような「冷静な自分」を保っていられたかどうか自信はない。
もちろん、先生の言うように、出血場所が運動野でなかったならば「カメのようにのろい回復」のスピードにイライラすることもなかったのだろうが、ものは考えようで、同じ状況でもそれを「不幸」と考えるか「幸福」と考えるかで人の心の状況は百八十度違ってくる。
生来が「楽天的」な自分ではあるのだが、もし今よりもヒドい後遺症とつきあっていかなければならなかった時のことを考えれば、やはり「運が良かった」と認識する方がはるかに当っているような気がする。

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