みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

お見舞い

2012-01-08 23:11:09 | Weblog
をする方もされる方もこの病気はけっこう難しい。
どの程度の症状なのか見舞いに行って本人に会うまでは見当もつかないだろうから、一体いつ頃お見舞いにいったら良いのか相当迷うはずだ。
口がきけるのか(この病気で失語になる人は多い)、手足はどの程度不自由なのだろう(この部分は、私もそうだったが健常者には容易には想像できない部分だ)?
口の聞けない患者さんを見舞うことほど辛いことはない(そういう患者さんも同じ病棟には何人もいらっしゃるのでその大変さはとてもよく伝わってくる)。
こんな気遣いから「気持ちはあってもなかなか病院には行けない」という人も多いはずだ。
発症直後は誰でも気を使ってすぐには見舞いに行けないものだし、実際来てもらっても見舞われる本人自身が何が何だかよくわかっていない。
恵子本人もまったく覚えていないことなのだが、発症翌日の彼女の目はまさしく異常な目をしていた。
目をかっと見開いてはすぐに閉じるを間断なく繰り返すそのさまに、正直私は恐怖を感じた。
「一体この人の目は見えているのだろうか?」というような怖れではなく、「この人の脳の中、あるいは身体の中で一体何が進行しているのだろうか?」という、文字通り、目に見えないモノに対する恐怖だ。
後から聞くと「その時のことはまったく覚えていない」のだという(まあ、そんなものだろうな)。
右半身の麻痺というのは、なにも手や足だけではなく、目にも耳にも口にも及んでいる。
多分、発症直後右の耳はあまりよく聞こえなかっただろうし(今でもちょっと聞こえが悪いらしい)、目だって右の視界は相当狭かったはずだ(発症2週間ぐらいは1メーター以上離れると私の顔が見えなくなっていたらしい)。
流動食になってからも食べ物は必ず右側の方からこぼしていた(本人にこぼした自覚はないのだが)。
こんな状況では見舞われても誰が来たのかすらわからないだろうし(事実、家族の誰が来たのかの記憶もあやふやなようだ)、お見舞いに来てくれた人がわからなくても仕方のないことだろう。
それでも、2週間目ぐらいからボチボチお見舞いの方たちも遠慮がちに来てくれるようになったが、その対応は人さまざま。
何でもないように(きっとわざとだろうが)普通にしゃべりかけようとする人もいれば、不思議とやたらと麻痺した手をさわりたがる人もいる(ナゼだかよくわからないが麻痺の手をさわりたがる人は今でもけっこう多い)。
最初に入院した急性期の病院ではリハビリの時間が午後の一回だけだったので、お見舞いの人が来ても大体ベッドにいることが多かったが、現在の回復期のリハビリ病院に転院してからは毎日リハビリメニューがびっしりとあるので(この病院はなにしろ患者をベッドで寝かせないようにしている)、せっかく見舞いに来てくださっても本人が「ベッドにいない」ということの方が多い。
その代わり、行動そのものが自由にはなってきているので、リハビリメニューの合間に割合ゆっくりとしゃべることはできる。
お見舞いの方も(当然のことだけど)恵子の好みなどをよくわかってくださっていて絵を描くクレパスを持ってきてくださったり、画集や詩集など持ってきてくださる人も多い。
最近は私も一緒になって「今日は誰が来るかナ?」などと自分が患者でもないのに、入院患者のような気分になってしゃべったりする。
でも、最近お見舞いの方が一様に「元気そうね」と言ってくださるのは良いのだが本人にしてみると「見た目だけじゃ麻痺はよくわからないもんね」ということになるらしい(つまり、見た目ほど自分の身体は楽じゃないのよと言いたいのだろう)。
今日も、以前急性期の病院に初期の頃来てくださった人が再びお見舞いに訪れた。
開口一番、「指はよく動くようになったわね」とおっしゃった。
その回復ぶりに驚いたのだろう。
まあ、私にしてみれば「そりゃ、指は動きますよ。最近では右手で箸も使えますからね。でも、本人はけっこう努力しているのだと思いますよ…」とついフォローしてみたりする(けっこう私も患者目線でモノを言うようになってきたのかナ?)。
でも、お見舞いというのは、(患者にとって)ないよりはあった方が絶対嬉しいものだ。


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1 コメント

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なかなか (Osamuxxxx)
2012-01-10 18:47:26
お見舞いに行けずごめんなさい。いつもブログを読ませてもらい,いろいろな事を考えさせられながら見守っております。
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