みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

悔し涙

2012-05-22 17:12:23 | Weblog
いつも自宅で歩行と階段の上がり下りの練習をする。
どちらも原理は同じ。右に重心をかけて左足を出す(右に重心がかかっている間に自由になった左足を出す)。
次は、当然のことながら、前に出した左足に重心を移して今度はフリーになった右足を出す。
まあ、こんなことは説明されなくても当たり前だし、しかも、普通こんなことを日常意識している人はいない。
自然にそうなっているのだから。
でも、恵子の場合は、そうはならない。
だから練習する。
ただ、この練習がクセモノ。
病院で療法士さんが指示をして練習するのは、医者と患者のようなものだから基本的には言われた通りにやる。
しかし、自宅で私と恵子がやるリハビリトレーニングは、そこに夫婦の感情というものが入ってくるのでちょっと厄介だ。
お互いに、お互いを思いやる気持ちが逆に災いとなる場合もあるからだ。
恵子は、必死で「治そう」とする。
その気持ちとひたむきさは見るだけで涙が出て来るほどだ。
私も、必死で「治してあげよう」とあらゆる努力をする。
時にその二つの気持ちがぶつかる。
お互いの気持ちが空回りして負の作用を及ぼすことがあるのだ。
恵子は、私に「ヤマネコにばかり負担かけて私は何にもできない。そんな自分が悔しい。ごめんね」と言って泣きながら練習をする。
私は、「そんなことはないよ。私に負担がかかるのは一時的で今だけなんだから、頑張って治してよ。だから、ちゃんと正しい方法で練習しよう」と呼びかける。
すると、この私に対する「すまない」という気持ちと「早く治さなきゃ」という気持ちが彼女にものすごいプレッシャーをかけてしまうのだ。
階段の上り下りの練習で、右足に重心をかけて左足を先に上にあげ、その上った左足に重心を移して右足を上に上げる。
この練習がどうしてもうまくいかない。
左足を上に上げ、今度はイザ右足(麻痺した足)を上げようとすると右足が「金縛り」にあったようにまったく動かなくなってしまうのだ。
実際の上り下りではなく、単に準備運動として右足を上げる時には20センチ以上も上がっているにもかかわらずだ(これだけ上がれば階段は十分上っていかれるはずなのだ)。
要するに、精神的なプレッシャーが彼女の足を硬直させ、本来動くはずの足を動かなくさせているのだ。
それも十分わかっている恵子は、椅子に座り込み「なんで動かないの、動かないとヤマネコに迷惑がかかっちゃう」と言って、またひとしきり泣きじゃくる。
どれだけ悔しいことか。
療法士さんに聞いても、「ちゃんと動くはずです」。にもかかわらず彼女の足は動かない。
いっそ催眠療法でも使おうか。そう何度思ったことか。
楽器の難しいパッセージで一度間違えると、その間違えたトラウマが指を緊張させ、そのフレーズに来るたびに「間違えてしまう」という意識がまた指を動かなくさせてしまう。
それと全く同じだ。
これを繰り返している永遠に「動かないスパイラル」から抜け出すことができない。
二人がもう少し「気を楽にする」しかないのかもしれない。
やはり、二人とも少し「焦っている」のだろう。

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