みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

ここまで半年

2012-02-22 20:54:10 | Weblog
恵子の介護にしゃにむに突っ走ってきたけれど そろそろ疲れがピークに達したのかナ?という感じでこの2週間ほど完全にバテてしまった。
具体的には風邪をひいたということなのだけれども、世の中に「風邪なんて病気はない」と私は信じているので、要するに「風邪とおぼしき症状」でダウンしたというだけのこと。
そして、この「風邪とおぼしき症状」はこちら側の体調不良の時を狙ってタイミングよくやってくる(ものだ)。
いろんな菌に無抵抗な状態、あるいはこちらの心にスキができた時を狙ってやってくると言った方が正確かもしれない。
私は学生時代、試験が終わるとよく風邪をひいていた(特にアメリカでの学生時代の4年間、私の場合試験と風邪の因果関係は明確に存在した)。
要するに、心と身体が「もう今なら風邪をひいても大丈夫」と安心するからなのだろうと思う。
なので、今でも演奏がしばらくないナとわかるとけっこう身体がなまけて風邪をひいてしまったりする時がある(演奏のタイミングで風邪をひいたりすると「プロたるものが...」と非難されてしまうので)。
まあ、風邪は一種の(心と身体の両方が)健康かどうかのバロメーターといったところなのだが、この体調不良によって恵子の病院からしばらく足が遠退いてしまった(風邪の人間が病院でうろちょろしたらかなり迷惑だ)。
ただ、ありがたいことに今はメールというものの存在で物理的に離れていてもお互いの気持ちは確かめられる。
ただ、恵子はじかに会えないフラストレーションからかやたらに絵を描いて写メで送ってくるようになった。
最近は私と彼女のアメリカ生活が題材のことが多い。
日に4枚も5枚も描いてくることがある。
「こいつらは2匹とも生きてるから私が描かなくても勝手にこいつらが表情作ったりするの」と絵の中にいるヤマネコとうさぎのことを恵子はそう評する。
まあね、そう言われりゃそうだけど…と絵をよく見るとヤマネコの表情などには明らかに彼女の願望が入っているような気がする。
音楽も絵も基本的にはその人の感情がそのまま現れるわけなので、その人が作家であれ、絵描きで、あれ音楽家であれ、基本的に「ない袖はふれない」ということになる。
ということは、こういう行為(絵を描いたり、楽器をやったり、文章を書いたり、料理を作ったりするような行為)は、リハビリや認知症の治療などさまざまに治療法の一つとして絶対に役立つはず。
と私なんかはマジに思っているのだが、ごく一部のお医者さんや療法士さんを除いてこうした取り組みに可能性を感じている人は意外と少ない。
それは、多分「これをやったからこうなった」という原因と結果の因果関係を証明しにくい分野でもあるし、「そんなの気のせいだよ」と一蹴されてしまいかねないぐらい効果の分かりにくい分野だからだろう。
モーツァルトを聞くと頭が良くなるとでも簡単に言えればこんな楽なことはないのだが(よくそんなことを学者や医者が軽々しく言えるなという気もするが)、うつ病が長い間「気のせい」で片付けられてきたように人間の思考と認知の大元が脳であるにも関わらず脳と人間の行動の結びつきに対するアートやパーフォマンスの役割の意味を本気で解明しようとしている人は案外少ないのだ(オリバー・サックス博士はその研究をしている人だが)。

恵子の「描きたい」という気持ちとそれを命令する脳の認知行動がリハビリにどれだけ役立つのかを数値で計りそれと身体の機能回復の因果関係が示せればきっとどんな人も納得できる答えが示せるだろうに、残念ながら現状ではその方法は何もない。

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