タイトルを見て、純文学について書かれていると思われた方がいらっしゃいましたら、ゴメンナサイ(^_^;)
今年の旅仲間との旅行の行き先が愛媛県の松山だったのです。
2016年11月11日、冷たい雨降る東京を飛行機で飛び立ち、一路松山へと向かいます。厚かった雲のじゅうたんが、静岡あたりからだんだん薄くなって青い海と緑の陸地、その間に広がった街が見えてきました。
名古屋付近
大阪付近
小豆島
しまなみ海道
瀬戸内の島々はどこもきれいな砂浜があります
飛行機の影、もうすぐ着陸です
松山空港に到着すると、迎えてくれたのは大きな愛媛みかんジュースタワー
愛媛国体のキャラ「みきゃんちゃん」
みかんのステンドグラス
そして、「お遍路さん更衣室」や「投句ポスト」もあって、四国に来たんだなぁという実感が湧いてきました。
空港からは送迎車でホテルへ。だんだん大きな建物が増えてきて、市街地から道後温泉の一角をかすめ、ちょっと急な坂を上った坂の上の雲…ならぬ坂の上のホテル「湯快リゾート 道後彩朝楽」に着きました。
通された部屋は床の間付き12畳半にソファーのある廊下があって、5人泊まるには丁度良いサイズです。ベランダからは松山市内が一望でき、ちょっと遠目ですが松山城もみえます。昼と夜を見比べてご覧ください♪
早速、道後温泉界隈の散歩に出かけました。循環バスを降りると、路面電車の駅とは思えないほど立派な「道後温泉駅」が迎えてくれました。小説「坊っちゃん」に書かれた「マッチ箱のような汽車」を再現した「坊っちゃん列車」、吾輩は猫であるを連想させる猫(これは松山が舞台じゃないけど…)、街頭で念仏を唱えるお遍路さん、松山らしさを堪能しました。
夕食は盛り付けのセンスが問われるバイキング形式、並べられたおかずの種類が多くて9分割のお皿では取りきれませんでした(^_^;)
このあとは宴会?温泉?と思いきや、私は別行動して市内の「イヨテツスポーツセンター」を目指します。たまたま、愛媛県カーリング協会の練習日が旅行と重なっていて、お邪魔することが出来たのです\(^o^)/
愛媛県唯一のアイススケート場のサブリンクには、しっかりとハウス(カーリングの的の円)が描かれています。翌日に「西日本オープン」があるため、練習参加者は私を含めて3人で、しかも一人は車で2時間半もかかる高知からいらしていました。
まず、ストーンを倉庫から台車で運び出し、整氷車が入ったあと、氷上の水をスクレーパーで掻きだし、ペブル(水)を撒き、ハック(蹴り台)を貼り付けたりなどの整備をしますが、それにリンクの貸し切り時間の半分近くを費やします。東京の場合は、これにハウス描きが加わりますが、人海戦術が使える分だけ楽です。
サブリンクなので長さはかなり短いですが、一般にスケートリンクはカーリング専用シートよりもストーンの滑りが悪く、感覚的には普通よりもちょっと強めに投げると届く感じでした。むしろ、東京のリンクよりも傾斜が少なく、ストーンが傾斜に流されることがないのはよかったです。3人しかいないので、投げる順番がすぐに回ってきて、短い時間の中で効率よい練習が出来ました。来年の愛媛国体では、デモンストレーション競技でカーリングも行われます。機会があれば、来てみたくなりました。
ホテルまで車で送ってもらうと、23時。。ここで初めて温泉に浸かりましたが、氷上で冷えた身体にお湯が沁みないように掛け湯を何杯もかけて入りました。
翌日はまず松山城へ、姫路城や松本城のように創建当時の天守が残っているお城です。築城したのは加藤嘉明氏、私と同じ姓ではないか!こんなことも知らずに松山を訪れたのが恥ずかしい(^_^;)
この松山城、市内にある勝山という標高132メートル程の山にあり、麓と山の間にロープウェイとリフトが通っていて、私たちはロープウェイで登りました。山頂駅から緩い坂を上ると、広々とした平地が広がり、その先に小天守が聳えています。標高132メートルでも眺めはよく、松山の市街地が手に取るように見えました。
門をいくつもくぐり、お城独特の鉤の手に曲がった通路を進み、小天守のある建物に入ると、昔の建物らしく超急な階段が待ち構えていました。万が一、上から人が落ちてきても大怪我しないように、手すりをしっかり握りながら上りました。小天守からの眺めはこんな感じ・・・、泊まっている道後温泉方面の景色もよく見えました。
愛媛では、蛇口から水じゃなくてミカンジュースが出ると言われていますが、小天守から下りた広場にありました!
昼食は出雲屋さん(うなぎにひょうたん弁当のいづもやじゃないです)で、鯛のアラ煮定食をいただきました。甘く煮込んであって美味しかったです!
道後温泉本館、「千と千尋の神隠し」の温泉施設のモデルといわれている風格ある建物には夏目漱石も訪れていて、神の湯には「坊っちゃんは泳ぐべからず」の看板、3階には「漱石の間」があります。入浴後は、休憩室でお茶と瓦せんべいでのんびりしました。
道後温泉界隈でみつけた、坊っちゃんにまつわるお店・・・。
坊っちゃんゆかりの宿
喫茶「赤シャツ」
喫茶「ニューマドンナ」
「坊っちゃん」には、松山のことは決してよく書かれていません。松山の中学校の数学教師を辞めるはめになった坊っちゃんは、彼を陥れた教頭の赤シャツとその取り巻きの野太鼓を殴って松山を後にしているし、船で松山を離れるシーンでは「不浄の地を離れた。船が岸を去れば去るほど、いい心持ちがした」と、散々な書かれようなのです。それでも、松山で坊っちゃんが愛されているのは、何故なんでしょう?「吾輩は猫である」のように長編で全文読んでいる人が少ないのだろうか、いや「坊っちゃん」それほど長くはない。作品の内容をも凌駕する威光が夏目漱石にあったのか、その答えは、小説の中の坊っちゃんの正義感、真っ直ぐな姿勢にあると、とある資料に書かれていて納得しました。
松山はもうひと方、日本を代表する文人「正岡子規」の出身地です。最後に行ったのが「子規記念館」。俳人として有名ですが、新聞記者でもあり、ベースボールを野球(自身の本名が“のぼる”だったことから野ボールと洒落た)と訳し、更に一塁手などの野球用語の和訳もされたという多彩な才能を発揮していました。そして、子規は政治家を目指して東京帝国大学在学中に夏目漱石と親友になったそうですが、夏目漱石は親友の出身地を“不浄の地”と書くほど子規と親しかったのか、はたまた自らの名を「枕流漱石」(流れを枕に、石で口を漱ぐ)に由来して付けた偏屈な面があった故なのか、新たな疑問が湧いてきたのでした。
最終日、飛行機の便が早くて、観光はせずに空港へ向かい、何となく物足りなさを感じながら機内に乗り込みました。不浄の地ならぬ清浄の地を離れ、飛行機が空港を去れば去るほど寂しさを感じていました。でも、昼間の飛行機ならではの光景、富士山をしっかり見ることができてラッキーでした。次に愛媛に行くのは、愛媛国体かな???
今年の旅仲間との旅行の行き先が愛媛県の松山だったのです。
2016年11月11日、冷たい雨降る東京を飛行機で飛び立ち、一路松山へと向かいます。厚かった雲のじゅうたんが、静岡あたりからだんだん薄くなって青い海と緑の陸地、その間に広がった街が見えてきました。
名古屋付近
大阪付近
小豆島
しまなみ海道
瀬戸内の島々はどこもきれいな砂浜があります
飛行機の影、もうすぐ着陸です
松山空港に到着すると、迎えてくれたのは大きな愛媛みかんジュースタワー
愛媛国体のキャラ「みきゃんちゃん」
みかんのステンドグラス
そして、「お遍路さん更衣室」や「投句ポスト」もあって、四国に来たんだなぁという実感が湧いてきました。
空港からは送迎車でホテルへ。だんだん大きな建物が増えてきて、市街地から道後温泉の一角をかすめ、ちょっと急な坂を上った坂の上の雲…ならぬ坂の上のホテル「湯快リゾート 道後彩朝楽」に着きました。
通された部屋は床の間付き12畳半にソファーのある廊下があって、5人泊まるには丁度良いサイズです。ベランダからは松山市内が一望でき、ちょっと遠目ですが松山城もみえます。昼と夜を見比べてご覧ください♪
早速、道後温泉界隈の散歩に出かけました。循環バスを降りると、路面電車の駅とは思えないほど立派な「道後温泉駅」が迎えてくれました。小説「坊っちゃん」に書かれた「マッチ箱のような汽車」を再現した「坊っちゃん列車」、吾輩は猫であるを連想させる猫(これは松山が舞台じゃないけど…)、街頭で念仏を唱えるお遍路さん、松山らしさを堪能しました。
夕食は盛り付けのセンスが問われるバイキング形式、並べられたおかずの種類が多くて9分割のお皿では取りきれませんでした(^_^;)
このあとは宴会?温泉?と思いきや、私は別行動して市内の「イヨテツスポーツセンター」を目指します。たまたま、愛媛県カーリング協会の練習日が旅行と重なっていて、お邪魔することが出来たのです\(^o^)/
愛媛県唯一のアイススケート場のサブリンクには、しっかりとハウス(カーリングの的の円)が描かれています。翌日に「西日本オープン」があるため、練習参加者は私を含めて3人で、しかも一人は車で2時間半もかかる高知からいらしていました。
まず、ストーンを倉庫から台車で運び出し、整氷車が入ったあと、氷上の水をスクレーパーで掻きだし、ペブル(水)を撒き、ハック(蹴り台)を貼り付けたりなどの整備をしますが、それにリンクの貸し切り時間の半分近くを費やします。東京の場合は、これにハウス描きが加わりますが、人海戦術が使える分だけ楽です。
サブリンクなので長さはかなり短いですが、一般にスケートリンクはカーリング専用シートよりもストーンの滑りが悪く、感覚的には普通よりもちょっと強めに投げると届く感じでした。むしろ、東京のリンクよりも傾斜が少なく、ストーンが傾斜に流されることがないのはよかったです。3人しかいないので、投げる順番がすぐに回ってきて、短い時間の中で効率よい練習が出来ました。来年の愛媛国体では、デモンストレーション競技でカーリングも行われます。機会があれば、来てみたくなりました。
ホテルまで車で送ってもらうと、23時。。ここで初めて温泉に浸かりましたが、氷上で冷えた身体にお湯が沁みないように掛け湯を何杯もかけて入りました。
翌日はまず松山城へ、姫路城や松本城のように創建当時の天守が残っているお城です。築城したのは加藤嘉明氏、私と同じ姓ではないか!こんなことも知らずに松山を訪れたのが恥ずかしい(^_^;)
この松山城、市内にある勝山という標高132メートル程の山にあり、麓と山の間にロープウェイとリフトが通っていて、私たちはロープウェイで登りました。山頂駅から緩い坂を上ると、広々とした平地が広がり、その先に小天守が聳えています。標高132メートルでも眺めはよく、松山の市街地が手に取るように見えました。
門をいくつもくぐり、お城独特の鉤の手に曲がった通路を進み、小天守のある建物に入ると、昔の建物らしく超急な階段が待ち構えていました。万が一、上から人が落ちてきても大怪我しないように、手すりをしっかり握りながら上りました。小天守からの眺めはこんな感じ・・・、泊まっている道後温泉方面の景色もよく見えました。
愛媛では、蛇口から水じゃなくてミカンジュースが出ると言われていますが、小天守から下りた広場にありました!
昼食は出雲屋さん(うなぎにひょうたん弁当のいづもやじゃないです)で、鯛のアラ煮定食をいただきました。甘く煮込んであって美味しかったです!
道後温泉本館、「千と千尋の神隠し」の温泉施設のモデルといわれている風格ある建物には夏目漱石も訪れていて、神の湯には「坊っちゃんは泳ぐべからず」の看板、3階には「漱石の間」があります。入浴後は、休憩室でお茶と瓦せんべいでのんびりしました。
道後温泉界隈でみつけた、坊っちゃんにまつわるお店・・・。
坊っちゃんゆかりの宿
喫茶「赤シャツ」
喫茶「ニューマドンナ」
「坊っちゃん」には、松山のことは決してよく書かれていません。松山の中学校の数学教師を辞めるはめになった坊っちゃんは、彼を陥れた教頭の赤シャツとその取り巻きの野太鼓を殴って松山を後にしているし、船で松山を離れるシーンでは「不浄の地を離れた。船が岸を去れば去るほど、いい心持ちがした」と、散々な書かれようなのです。それでも、松山で坊っちゃんが愛されているのは、何故なんでしょう?「吾輩は猫である」のように長編で全文読んでいる人が少ないのだろうか、いや「坊っちゃん」それほど長くはない。作品の内容をも凌駕する威光が夏目漱石にあったのか、その答えは、小説の中の坊っちゃんの正義感、真っ直ぐな姿勢にあると、とある資料に書かれていて納得しました。
松山はもうひと方、日本を代表する文人「正岡子規」の出身地です。最後に行ったのが「子規記念館」。俳人として有名ですが、新聞記者でもあり、ベースボールを野球(自身の本名が“のぼる”だったことから野ボールと洒落た)と訳し、更に一塁手などの野球用語の和訳もされたという多彩な才能を発揮していました。そして、子規は政治家を目指して東京帝国大学在学中に夏目漱石と親友になったそうですが、夏目漱石は親友の出身地を“不浄の地”と書くほど子規と親しかったのか、はたまた自らの名を「枕流漱石」(流れを枕に、石で口を漱ぐ)に由来して付けた偏屈な面があった故なのか、新たな疑問が湧いてきたのでした。
最終日、飛行機の便が早くて、観光はせずに空港へ向かい、何となく物足りなさを感じながら機内に乗り込みました。不浄の地ならぬ清浄の地を離れ、飛行機が空港を去れば去るほど寂しさを感じていました。でも、昼間の飛行機ならではの光景、富士山をしっかり見ることができてラッキーでした。次に愛媛に行くのは、愛媛国体かな???
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