今朝、自宅前のバス停から
路線バスが出発した光景を見て
あることを思い出しました。
私が思い出したのは、
長女がバスに乗り遅れて
走ってバスを追いかける光景。
友人とディスニーランドに行くために
早朝の路線バスに乗るはずだったのに乗り遅れ、、、
このままでは、友人との待ち合わせに遅刻し
迷惑をかけてしまう、
と感じた私は、慌てて自宅に戻り
自家用車で長女をディスニーランドまで
送っていったのです。
当時の私は、長女が困るシーンを回避させることができ
優しいお父さんを演じたという満足感に浸っていました。
が、今朝の回想で気づいたのは
長女が「困る」経験をするのを奪ってしまい
「成長」する機会を与えていなかったということ。
この回想をきっかけに、さまざまな場面で
娘たちの「成長」の機会を奪っていたことを思い出したのです。
最近になって、娘たちの言動に過干渉することなく
距離を置いて見守ることができるようになったことにも気づき
親が子どもに育ててもらっているのだと感じた朝だったので
備忘投稿させていただきす。
本当の「優しさ」というのは
「相手を信じて待つ」ことなのかも知れませんね!
本日も最後まで読んで下さり、
有難う御座います。
【しあわせです、感謝!】