明治43年の大雨で山津波が発生する前、
軽井沢が発展する前、
40数件ホテルや別荘地は、東京からの避暑地として、
栄えた霧積温泉でした。
☟ 霧積館は昭和46年の開業から半世紀、
平成24年、水車を残し解体。
☟ 霧積館の近くに、土砂崩れで悲惨な状況を見て、
幸田露伴は小山内薫ととも訪れ、荒廃した姿を,
詩に書いていた。
☟ ここから、旅館「金湯館」をめざし、
☟ 駐車場に6台の車は、埼玉、東京などのナンバー。
霧積川の向こうで、
アイスクライミングする人たちの車だった。
☟ あれが「金湯館」
伊藤博文、尾崎行雄、森村誠一、長谷川如是閑、
与謝野鉄幹・晶子夫妻、幸田露伴、
山口誓子、小山内薫、山口薫も泊っている。
西條八十、直接「霧積」を題材にした詩。
同じ道だと思う・・・私も歩いている!
鹿の爪痕のある雪道。
☟ 明治17年創業。
改築しながらの営業は、風呂に将棋盤を浮かべて、
勝負を競えるほどの、ぬるま湯。40度ほど。
風呂にはいれと言われたけど、丁重に断り、
山菜そばを、量があって、しかもうまかった!
☟ 今年は水が少なく、氷塊が小ぶり。
上毛新聞社のカメラマンの写真を見せていただいたが、
水車から川底まで、てんこ盛り状態。
☝ ☟勝海舟が皮膚病の湯治に。
同じく滞在していた、徳富蘇峰。蘆花の、
叔母(キリスト教婦人叫矯風会創立者・禁酒運動の親分)
矢島楫子(かじこ)の依頼で海舟が筆をとった石碑の拓本。
明治20年ごろだ、と。
☟ 秘境、霧積温泉一軒の宿、若女将が、
冬場、土日には20人ほどの宿泊者をもてなしていました。
☟ 「人間の証明」 森村誠一氏が執筆していた離れ。
☟ 電気は昭和30年から。
ふぅ~ぅ! 長かった。
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