上州姫街道、なんと麗しい名の街道。
生糸や麻、楮、煙草、漆を運ぶ道として、
女性の脚絆を軽やかにした道。
江戸から22里、中山道69次、
一番の賑わいを見せた本庄宿。
一番の賑わいを見せた本庄宿。
中山道と上州姫街道の分岐する交差点近くに、
石原銀(吟)八郎の名が刻まれた神社が、
本庄市の鎮守となって、地元の人たちの拠り所に。
👇 右のクスノキが、御神木に、
左のカヤが共に20mばかり、
境内にひと際の存在感で。
左のカヤが共に20mばかり、
境内にひと際の存在感で。
金鑚(かなさな)神社、拝殿。
日光東照宮などの改修を手掛ける、
かつては真田家家臣、群馬県花輪に住む高松又八。
一番弟子に石原銀八郎がいて、共に公儀彫物師。
その弟子に、仏像彫りの天才、関口文次郎がいて、
国宝、熊谷市の聖天堂歓喜院を完成まじかにして、
文次郎に技を託して、病で亡くなってしまった。
その石原銀八郎の出世作と言われた羽目板の彫り物が、
ここ、金鑚神社で見るとは、思いもしませんでした。
華美を抑えた、シンプルなフォルムは、
意図して訪れたわけではない、神主さんとの、
会話で知った、石原銀八郎の作品、1724年。
鳥肌立つ思いでした。
一番弟子に石原銀八郎がいて、共に公儀彫物師。
その弟子に、仏像彫りの天才、関口文次郎がいて、
国宝、熊谷市の聖天堂歓喜院を完成まじかにして、
文次郎に技を託して、病で亡くなってしまった。
その石原銀八郎の出世作と言われた羽目板の彫り物が、
ここ、金鑚神社で見るとは、思いもしませんでした。
華美を抑えた、シンプルなフォルムは、
意図して訪れたわけではない、神主さんとの、
会話で知った、石原銀八郎の作品、1724年。
鳥肌立つ思いでした。
長くなりました・・ここまでが、
今日耐えられる、思考回路です。
今日耐えられる、思考回路です。
次回も金鑚神社、見ていただけますよう!
美しい写真を 眺めさせていただきながら
昼休みの 贅沢な時間ニッ(^^)感謝です
案山子
🍀
美しい写真も、美しい心には、
負けます。ま、け、ま、す・・。