春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

「松姫の道」 1

2018-01-09 22:43:14 | たいへんだ

 むかし1500年代、山梨・甲斐に武将がいた。
武田信玄。
信玄に(1561年年)9月、子供が生まれ、
子の母は側室の「油川ご寮人」
生まれつきの美人で名は「松姫」。

松姫の生涯の恋人は、織田信忠。

生涯顔を見ることなく、
武田家と小豪族のこわっぱ、
織田信長の嫡男、
奇妙丸(信忠)婚姻を結んだだけ。
松姫7歳、信忠11歳の時であつた。

が、時代は1567年。
信玄全国制覇をもくろんでいた時である。
遠江の三方が原に出撃、徳川軍と一戦を交えることに。
これが松姫の不運の始まり。
織田が徳川に三千の援軍を出したということが信玄に伝わり、
怒り狂っ信玄は、織田に絶縁状を叩きつけ、
婚約は解消。信忠15歳。松姫11歳の時だ
った。
9年の歳月が経ち。
恋人、織田信忠は、武田軍の要塞、
信州伊那の高遠城を攻め落とす勢い。
織田・徳川連合軍に追い詰められた、
腹違いの兄、勝頼は、高遠城に入っていた、松姫に、
盛信の娘(督姫)と、
勝頼の娘(貞姫)、
人質である小山田信房の養女、4歳の香具姫らを連れて、
十数名の供とともに甲州路の東へ向かわせるのであります。

勝頼が味方の裏切りもあり、
天目山麓の田野で自刃し、武田が滅亡した頃、
織田軍の残党狩りは、村人達も、
山奥深くまで逃げ込むほどの熾烈さのなか、
松姫ら4人とともは、大菩薩峠を越えて、
険しい甲武国境の山並、寒さや雨、幼女をかかえ、
松姫は大きな試練に耐えぬいて、
武蔵に落ち延びた来たのであります。

その道は、今なお、云い伝えられて、いるだけ・・・・。

松姫・・・この時20歳!

 



 

 
峠までの道は、危険な状態の時期、登れません。







 



 

 


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