栃木県の南に位置する人口11万5千人が住む佐野市。
1684年に創建された神社。
二柱神社。
日光東照宮が創建されてから67年後。
もともと、
仏教・歓喜天を祀っていた神社。
明治の神仏稀釈で、歓喜天を安楽寺に移して、
二柱神社。
日光東照宮が創建されてから67年後。
もともと、
仏教・歓喜天を祀っていた神社。
明治の神仏稀釈で、歓喜天を安楽寺に移して、
国土、人物、万物を創造したという二柱、
神皇産霊神(かみむすひのかみ)と、
神皇産霊神(かみむすひのかみ)と、
高皇産霊神(たかみむすびのみこと)を祀って、
1873年に、名を変えた。
1873年に、名を変えた。
1600年代神社の彫刻は、
ほとんど地紋の彫りだつたのが、
1700年代に入り、軒下の彫刻が見られ、
中頃になると、壁面に彫刻をはめ込むようになる。
彩色となると、1700年代後半、
彫り物が多い割には、色付けの彫刻は少なくなり、
もっぱら、欅材を使用した素木の彫刻が目立ちます。
1783年再建された、彩色した二柱神社は、
神社の素木彫刻と、彩色彫刻のハザマかもしれません。
神社の素木彫刻と、彩色彫刻のハザマかもしれません。
彫ったのは、東照宮に通じる例幣使街道の、富田宿に住む、
磯部儀左衛門(3代目)秀重さん。1760年生まれ。
実弟に、一回り年下の、
1818年一度焼けた日光東照宮五重の塔を、
再建した大工棟梁がいます。
後藤家を名乗った、後藤周二正秀さん。
儀左衛門さんの初代はもともと、群馬県沼田の出身。
真田昌幸の家臣、彫刻家になった、
花輪彫刻集団、高松又八さんの流れを持つ。
磯部儀左衛門(3代目)秀重さん。1760年生まれ。
実弟に、一回り年下の、
1818年一度焼けた日光東照宮五重の塔を、
再建した大工棟梁がいます。
後藤家を名乗った、後藤周二正秀さん。
儀左衛門さんの初代はもともと、群馬県沼田の出身。
真田昌幸の家臣、彫刻家になった、
花輪彫刻集団、高松又八さんの流れを持つ。
幣殿から本殿の胴羽目に彫られた、
色落ち、塗料の剥落した彫刻・・・、
寺社の彫刻は素木がいいと思う私には、
佐野市郊外の平地に鎮座する二柱神社、
「しめた」の喜びです。
色落ち、塗料の剥落した彫刻・・・、
寺社の彫刻は素木がいいと思う私には、
佐野市郊外の平地に鎮座する二柱神社、
「しめた」の喜びです。
👇社殿中に、二股大根の絵馬があるのですが、
写真に収められなかった。
写真に収められなかった。
👇幣殿の農耕図
👇本殿の向拝の胴羽目の彫刻は、周の慶王にまつわる説話は、
後からはめ込まれた、と、云われ、
じっと見れば、
そうだ・・・とうなずいたデザイン。
じっと見れば、
そうだ・・・とうなずいたデザイン。
1783年天明の大飢饉が襲った日本、
7月6日、群馬県の浅間山が噴火し、ますます関東は、
生活に疲弊する住民が生死をさまよう。
生活に疲弊する住民が生死をさまよう。
私も、飽きもせず自社の彫刻を撮っていて、
みんな同じように見えるのですが、
一つ一つ、どこか違い作品に甲乙つけられない、
美術品です。
どこを切り取っても美術品としての価値も大きいですね(^_-)-☆