夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

孤独死は悲劇なのか?

2015-01-16 | diary
結論から先に言ってしまうとぼくは孤独死は悲劇でもなんでもないと思っている。自分にとっても、誰にとっても悲劇なんかではない。

まず現状を見ておこう。グラフにあるように単独世帯(1人世帯)が増加しており、今後もそういう見通しだ。非婚化、離婚の増加などで1人世帯が典型的な「家族のかたち」になってきているのだ。特に女性は平均寿命が長く、年上の男性と結婚する場合が多いから、必然的に老後は一人暮らしになる可能性が高い。東京を始めとした大都市は一人暮らしを前提にした社会システムになってきている。である以上、孤独死がふつうの死に方になる日も遠くないだろう。それをすべて悲劇だと呼んでも始まらない。

一人暮らしでも「孤独死」は嫌だ、避けられるはずだという気持ちはわからないではないが、ではそうならないように自分で対策を考えればいい。老人ホームなどの施設に入るとかホームセキュリティ会社と契約するとか、もっと簡単にご近所付き合いをまめにするとか、いろいろ方法はあるだろう。そうしたい人はそうすればいいし、おそらく今後「看取りビジネス」は有望で、悪質な業者に騙されるものも多く出るだろう。高齢者に限らず人の弱みにつけこんで儲けようとする連中は後を絶たない。

阪神淡路大震災や東日本大震災の被災者の状況を見ても、いくら呼びかけても近所づきあいを断ち、地域の活動にも参加せず、ひきこもっている人は少なくない。男性高齢者に特に多いそうだ。だが、「孤独でいる自由」、「ほっておいてもらう自由」はあって然るべきだ。それを好んで一人暮らしをしている人は多いはずだ。

だからと言って、病気やけがをして(家の中で階段から落ちて骨折するというのはとても多い)救急車や助けを呼ぶなとは言わない。当然のことだ。「自己責任」という言葉はあまり深くものを考えていない人間が使う冷たい言葉だから嫌いだ。自業自得と言えばいいものをもったいぶるなと思っている。

しかし、孤独・孤立を自ら選ぶ以上、不幸にして助けを呼ぶこともできずにそのまま何日も苦しんで死ぬこと、場合によっては餓死することも覚悟はした方がいい。ぼく自身はどうせ1回しか死なないんだから、そういうことも含めてたっぷりじたばたしながら味わってみようと思っている。

「家族の絆」という言葉を聞くたびに「何を偽善的で空虚なことを言ってるんだろう」と思う。一人家族での絆って首にでも巻きつけるのかと悪態をつきたくなる。もうとっくにそんなものは薄く、弱く、なくなってきているのだ。大家族なんて昭和の遺物だろう。たった1人でも生きていける、死んでいける方法を真正面から議論する方がよほど前向きだと思うのだが、どうだろうか。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。