このソプラノ独唱とオーケストラ、オルガンによる「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」は、ミラノでカストラートのラウィツィニのために書かれました。この曲は、宗教曲、モテットというよりは、彼自身が多く書いているコンサート用のレチタチィーヴォとアリアとして聴いたほうがわかりやすいでしょう。前回も申し上げましたようにモーツァルトの本質はオペラであり、それは宗教曲を書いていてもなんら変わりません。
レクイエムを始めとしてバロック以前の宗教曲をそれなり聴いてきた経験に照らして、今回(5/27の記事を見てくださいw)、ほとんどのモーツァルトの宗教曲を聴いて感じたのは、まあ同時代の作曲家と比べても彼の世俗ぶりはある意味大したものです。一応はミサでの実用性は配慮されて(ザルツブルクの大司教はミサを短くしろとか、うるさい奴だったそうですが)いるものの、宗教感覚みたいなものは希薄で、曲全体としてそれが貫徹されていると言えるのは、前に紹介した没年の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」とレクイエムだけじゃないでしょうか。レクイエムにしても独唱や重唱の部分はオペラしてますしねぇ。
そんなことを非難しているんじゃありません。宗教曲だからと言って敬遠するんじゃなくて、この曲に限らず聴いていただければわかりますが、とてもきれいで彼らしい躍動感にも飛んでいて、宗教曲のイメージの重苦しさとは無縁の楽しい曲が多いからです。金管や打楽器も派手に使われて、楽器編成も多彩で、ザルツブルク時代のモーツァルトの達成したものを見るのにいちばんいいジャンルだと思います。
例えばウィーンの孤児院の教会のために書かれた「孤児院ミサ」K139(47a)は1768年、彼が12歳の時の作品ですが、その充実した内容はとてもそんな年の少年によるものとは思えませんし、おそらくその当時までの彼の作品の中でも群を抜いた出来栄えです。その辺が宗教曲の確固たる伝統のお蔭と、それをきちんと身に付けた彼の努力の賜物でしょう。「孤児院ミサ」を一つの基準として、その5年後の作品を見ると、フーガを多用した「ミサ・ブレヴィス」ヘ長調K192(186f)やサンクトゥスにおけるヴァイオリンの装飾音からあだ名のついた「雀のミサ」K220(196b)が同じ程度のレヴェルにあるように思いましやはり”Exsultate jubilate”の伸びやかさは際立ったものがあるように感じます。モーツァルトにとってこのミラノ滞在はことのほか実り多いものだったようです。
実はちょうど一月ほど前に、タワレコでエラートから出ているモーツァルトの宗教曲集(コープマン&ABO)を買ったきり開封していなかったので、タイムリーな話題でした♪
今までは、モーツァルトの宗教曲は美しい「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と「レクイエム」しか知らなかったのでいい機会です。
というわけで、まさにたった今開封して、「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」を聴きはじめたのですが、本当にご指摘のとおり、躍動感に飛んでいて、とてもチャーミングで、けっこうオペラしてますね♪ホントにウォルフィ☆らしい! ああ~♪今Andanteまで到達しました。これ非常に美しいですね!すばらしい!!官能的!!ハレルヤもとってもチャーミングですね~☆
夢のもつれさんのBlogとっても勉強になりますね。これからもおじゃまさせてもらおうと思います。
ところで記事の一番上に張られていた絵は、曲が献呈されたカストラートの方の絵なのでしょうか?とてもきれいな絵なので気になりました。
画像は"exultate jubilate"で検索して、海外のサイトで見つけたものです。とても官能的な絵でおもしろいなと思い、掲載させてもらいました。毎回のブログで、実は画像を見つけるのが最後で最大の難関だったりします。うまく見つかると自己満足なんですけどねw。
これからもよろしくお願いします。