夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(9)

2005-06-25 | tale

 羽部一家が栄子のやりくり算段でなんとか居候生活から脱し、団地から出て行けるようになった日、童だけが駅まで送って行くことにした。2月の冷たい雨の降る午前中だった。夜逃げの時と同様の3つのリュックサックの上に黒のこうもり傘、薄い紫の傘、無地の赤い小さな傘がかぶさっていて、先を行くこうもり傘の左隣に黒の折りたたみ傘が寄り添っている。

 童は、今度はいつ会えるのか伯父に訊きたくて仕方がないのだが、どう言い方を工夫しても妙な具合になりそうで口を開けないでいた。
「今度来るときは円周率の話でもしようか?」
 傘の縁越しに見る伯父の横顔は、いつものように苦虫を噛み潰したようだったが、その反対側は柔和というか、いたずら小僧のような表情を浮かべているのを甥は知っていた。折りたたみ傘が縦に揺れる。

「πは不思議な怖いような世界への入り口なんだ。すごく根本的であちこちに出てくるのに、現代数学だってきちんと捕まえられないんだ。……『2001年宇宙の旅』って映画があるだろ?あのモノリスとかいうの、ああいう感じかな?」
 彼はいつものように楽しそうに大声で、虚空に数式でも書いているように右手を振り回す。駅へ向かうだらだらした下り坂を行き交う人や自転車は、お昼前でもあり、そう多くないが、みんなこの奇妙な2人連れを避けて行く。輪子が長靴の中に氷雨が入って足が痛いとむずかり、母子はますます遅れる。

「……でもキューブリックのあれは違うな。無限はあんなふうにずーっと迫って行って、パッと入るもんじゃない。通俗的だ。それじゃあ、オイラーの公式とかと同じで、いやあこんな具合にずっと続くってことで一つご勘弁をってなもんだ。中途半端だ。ストンといきなり入れないもんかね?だって円周率だぜ?自然の中には円や球なんていくらでもあるじゃないか。ほらこの波紋」

 宇八が指差すまでもなく、まだまだ工事中のところが多いこの団地の玄関口である駅前広場のバスの乗り場も電気工事で再度掘り返していたりしていて、あちこちに大きな水たまりが出来ているのだった。泥がはね上がる。

「直線の方が見つけにくいくらいだ。正確には存在しないんだろう。言葉は直線、有限。自然は曲線、無限。ま、そんなところだ。無限を有限な脳みそに取り入れようとしていかに現代数学が悪戦苦闘したか。……じゃ、坊主世話になったな」

 そう言うとさっさと橋上駅の階段をどんどん登って行ってしまった。伯母が「落ち着いたらうちにも来てちょうだいね」といった社交辞令を述べながら、小遣いを渡そうとするのを、童はどうすれば傷つけずに振り切れるかと、例によってもたもた考えていたが、「あ、宿題思い出したから」と彼としてはまあまあのセリフを言って、雨の中を走り出して行った。


 羽部一家の落ち着き先といっても、六畳間と二畳足らずの板の間にぺかぺかした流し台の付いた木賃アパートである。その環境も市の中心部とはいえ、あまり乗降客の多くない駅前には、ピンク映画のポスターや匂い立つ赤いペンキの鳥居が目立つコンクリートの高い壁の上を電車が走り、壁の反対側には安いモツ焼き屋やパチンコ屋が軒を連ねている。暗いトンネルのような(夜鳴きそば屋の屋台が置いてあったり、誰かが昼間から寝ていたりもするような)ガード下をくぐると、事務所、町工場、カステラの一切れのような一戸建て、外階段のあるアパート(その一つが羽部家の落ち着き先である)、銭湯が並び、4階建のビルでも十分目印になるような、寝ぼけたような街が広がっているのだった。

 街を一周する国鉄の高架を走る電車もこの辺りでは、春にはレンゲが咲くような土手になっていて、庭に盆栽を並べた木造住宅まで線路脇なのに建っている。少し離れた一帯にはノイシュヴァンシュタイン城に見まごうばかりの豪奢な建物や土星の形をした巨大なネオンサインを載せたビルが林立していて、早い話、ラヴホテルが市内有数の規模で集中している地域だった。
実は駅名もこのホテル街の代名詞として理解されているというのが実際で、若い女性にこの駅に行こうと言おうものなら、あらぬ(かどうかはともかく)誤解を受けること必定であった。夜ともなれば宮殿群は一際輝きを増す。赤、青、ピンク、様々な色のネオンサインが近くを流れる広い川の水面に映し出すきらめきと街を縦断する川を跨ぐ銀色のアーチ構造の鉄橋との取り合わせは、絵ハガキにしたいくらいの美しさだったが、世間の常識はそういう美的センスを持ち合わせなかった。ともかく、この長い物語の終わりまで羽部家の住所はこの街の一角のガードにほど近いところにある。

 輪子の目線と行動範囲で言うと、駄菓子屋が2軒ほど、貸本マンガ屋が1軒、冬には焼きいも屋、夏には同じ片目の濁ったおじさんが冷しアメ屋になってやって来る。音色のにぎやかな風鈴売りや売り声が昼寝の耳について離れなくなる竿竹売りも来たりする。近くの神社の祭礼や盆踊りの折には、金魚すくい、射的屋、カラクリ覗きなどの露店が軒を連ね、夜ともなればアセチレン・バーナーの二つの口から出た炎が合わさるのに見入ってしまうといった、楽しかったり、妖しい魅力を持っていたりする街であり、ずっと後になっても輪子は、悲しいことがあったりするとどういうわけなのか、この街の風景のすべてを思い出すのであった。


  GRADUALE
 Requiem aeternam dona eis, Domine:
 et lux perpetua luceat eis.
 In memoria aeterna erit justus:
 ad auditione mala non timebit.

  昇階唱
 主よ、永遠の安息を彼らに与え、
 絶えざる光で彼らを照らしてください。
 正しい人の思い出は朽ち果てることなく、
 悪いことが起きると怖れることはない。


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