ピアノ屋で出会った芸術家の中で ”人の考え、感性は経済的立場で大きく左右されそれによって決まります。
自分の経済的立場に応じた好み、感性、考えをもつことになります。”と書きましたが
これを言った経済学者は、カール・マルクスだと思います。本当にそう思います。
予算が許す選択の幅の中で選ばねばならない、というのが大前提ですが、
ピアノ選びで書いた私の好みも、経済的立場に由来する好み、感性、考えである部分が大きいと思います。
ここで書いたとおり私は「Steinwayを生活の相棒として持ちたいとは思わない」
「ハレのピアノを生活の相棒とするイメージがピンと来ない… 」
「嬉しい時も、哀しい時も、憂鬱な時も、謳歌する時も、練習する時も、生活に寄り添い対話できるピアノがいい」のですが
この感覚は、私の経済状況に由来する生活背景から来ているのではないかと思います。
もし私が赤い口紅の先生のように、勝ち組、成功者と言われる部族であったなら、このような発想はしないかもしれない。
第一、邸宅に外国製グランドを何個も所有してなおかつ店に来る先生は、1個のピアノにかける選択の重みが私とは違い
役割を分けて「今はこれが弾きたいわ」と使い分けができるのでさっさと買われるのですが。
笑いが止まらないような状況にいる人(いるのですよ…)が欲しくなるピアノと私が欲しいピアノは違ってくると思います。
「買えない」ことによる合理化という単純な話でもありません。
Bechsteinは私の心に響くことが証拠です。お金のことを度外視して、Bechsteinは大好きなピアノです。
Steinwayへの感想は昔からもっていましたが、私がブリヂストンで遭ったことによるトラウマ、不安、うつ状態などの症状を抱えて生活しているというのもなおさら影響しています。
ちょっと逸れますが、Steinwayの帝国主義的な販売戦略が好かないというのもあります。 Imperialism
他社製品の愛用ピアニストを迫害するようなことをしています。
上手く書けず、まとまりのない文章になってしまいました。
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また、部屋の広さや構造に相応な楽器を置くのがいいという実際的なものもあります。
多くの場合、住宅事情に合わせて楽器を選びます。グランドが置けないから、グランド並の値段のするアップライトを買われたり。
うちは田舎の実家住まいなのでその点恵まれていて、広さは十分とることができます。今建築家のおじちゃんが準備してくださっています。
家族や近所事情も、ピアノ好きのネックになりますが、私の場合田舎の家だし家族もOKだし、販売員さんは「すごく恵まれている」と言います。
壁や天井は音が反響するように作りたいと思います。私は、部屋の作りによって反響するのが好きです。空間全体が楽器になります。
すごい鳴りそうな部屋です
デッドそうな部屋です ピアノも小さい