この間2日の深夜、JSTVの番組欄に見慣れない番組
「古代日本のハイウェー~1300年前の“列島改造”」を
見つけたので、とりあえず見てみたら・・・すごく、面白い
番組でした。
日本では昨年放映したものを、こちらでも放映してくれて
最近の私の興味のある分野だったので、嬉しかったです。
飛鳥・奈良時代に総長 6300kmに及ぶ国営道路(官道)が整備
いたなんて、想像できますか?
それも巾10m~15mという今の4車線道路に匹敵していたそうです。
現在の高速道路網(総長約6500km)とほぼ同じルートと聞いて
さらに驚きでした。
都から西に向かう、山陽道、山陰道、南海道、西海道
都から近江を通って東国に向かう、東海道、東山道、北陸道
上の地図は、下の参考URL、
「1300年前のハイウエイを探る -古代官道ロマン-」から拝借しました。
馬及び旅人の休憩所&宿泊所を兼ねた施設として駅家(うまや)が
約16km毎に計画的に設置されていて、直線でつないでいたそうです。
途中自衛隊基地内に古代道が通っているということで、基地内で撮影も
されていたし、古代官道を当時の技術で再現していたりしてました。
再現した建設会社の人によると、現代の技術につながる相当高い技術力
だったようです。
機械のない時代、溝を掘り、道路をならすのに、木の道具を使って
延べ3000万人以上が必要という計算ですが、当時の日本の人口は
450万人程度。
本当に大規模な公共工事だったんでしょうね。
中国またはもっと溯ったシュメールなどの高度な測量技術や土木技術を
生かして建造されのだろうと思いました。
恐らく飛鳥時代から奈良時代に整備されたのだろうということですが、
整備され始めた正確な時期も不明で、整備後100年から200年くらいで
廃れてしまったようです。
都から地方への使者は、駅鈴を持って鳴らしながら、移動したそうです。
今のサイレンみたいな感じだそうです。
古代道の建造計画を誰が立てたのか、そして何故廃れてしまったのか、
とても気になるところです。
古代人の方が現代よりも大胆なのだなぁと感心してしまいました。
古代官道がいつから整備されはじめたのか、はっきりしませんが、
ヤマトタケルの東正のルートで、東海道から甲斐を通って東山道へ
抜けて西へ戻ったという話もあるので、かなり古くから道は
あったと考えられます。
日本の律令国家というのは大陸からの渡来人が、大陸そのままを
日本の中に新しく作り上げようとしたのだろう、と思いました。
万里の長城を建設する技術を持った大陸からの渡来人が、
建設に深く関わったんだろうな、と確信できた事が収穫でした。
古代官道が廃れていったのは、恐らく平安時代中期、武士が台頭
してきた頃ではないかと、想像しました。
なぜなら、広くて通りやすい道は、平和な時代であれば、便利だけど、
一度乱が起きれば、中央から地方へ中央へ反乱を起こす勢力が攻めやすく
なるのですから、道を整備することを止めたのではないのでは、と
思うのです。
中央の力が強かったなら、地方で官道に不備が出たら、すぐに
修復したでしょうが、そうでなければ、荒れるにまかせたのか、
もしかしたら、地方からの攻撃を恐れて、わざと破壊した可能性もあります。
参考URL
古代官道wiki
1300年前のハイウエイを探る -古代官道ロマン-
「四丁目でCan蛙」ブログの記事1
「四丁目でCan蛙」ブログの記事2
10/01/2010
青空に白い雲。夕方から雲が厚くなって雪。
しんしんと降り続けている。。。
1時間くらいで屋根が真っ白。。。
明日から新学期が始まるのに。。。
夜9時のコロン広場の写真。
人や車が通らないところは真っ白。
車道に車輪の跡が出来だしました。
ちょっと宣伝・・・
◆イベリコ豚については・・・「イベリコ・フェルミンの広場」
「古代日本のハイウェー~1300年前の“列島改造”」を
見つけたので、とりあえず見てみたら・・・すごく、面白い
番組でした。
日本では昨年放映したものを、こちらでも放映してくれて
最近の私の興味のある分野だったので、嬉しかったです。
飛鳥・奈良時代に総長 6300kmに及ぶ国営道路(官道)が整備
いたなんて、想像できますか?
それも巾10m~15mという今の4車線道路に匹敵していたそうです。
現在の高速道路網(総長約6500km)とほぼ同じルートと聞いて
さらに驚きでした。
都から西に向かう、山陽道、山陰道、南海道、西海道
都から近江を通って東国に向かう、東海道、東山道、北陸道
上の地図は、下の参考URL、
「1300年前のハイウエイを探る -古代官道ロマン-」から拝借しました。
馬及び旅人の休憩所&宿泊所を兼ねた施設として駅家(うまや)が
約16km毎に計画的に設置されていて、直線でつないでいたそうです。
途中自衛隊基地内に古代道が通っているということで、基地内で撮影も
されていたし、古代官道を当時の技術で再現していたりしてました。
再現した建設会社の人によると、現代の技術につながる相当高い技術力
だったようです。
機械のない時代、溝を掘り、道路をならすのに、木の道具を使って
延べ3000万人以上が必要という計算ですが、当時の日本の人口は
450万人程度。
本当に大規模な公共工事だったんでしょうね。
中国またはもっと溯ったシュメールなどの高度な測量技術や土木技術を
生かして建造されのだろうと思いました。
恐らく飛鳥時代から奈良時代に整備されたのだろうということですが、
整備され始めた正確な時期も不明で、整備後100年から200年くらいで
廃れてしまったようです。
都から地方への使者は、駅鈴を持って鳴らしながら、移動したそうです。
今のサイレンみたいな感じだそうです。
古代道の建造計画を誰が立てたのか、そして何故廃れてしまったのか、
とても気になるところです。
古代人の方が現代よりも大胆なのだなぁと感心してしまいました。
古代官道がいつから整備されはじめたのか、はっきりしませんが、
ヤマトタケルの東正のルートで、東海道から甲斐を通って東山道へ
抜けて西へ戻ったという話もあるので、かなり古くから道は
あったと考えられます。
日本の律令国家というのは大陸からの渡来人が、大陸そのままを
日本の中に新しく作り上げようとしたのだろう、と思いました。
万里の長城を建設する技術を持った大陸からの渡来人が、
建設に深く関わったんだろうな、と確信できた事が収穫でした。
古代官道が廃れていったのは、恐らく平安時代中期、武士が台頭
してきた頃ではないかと、想像しました。
なぜなら、広くて通りやすい道は、平和な時代であれば、便利だけど、
一度乱が起きれば、中央から地方へ中央へ反乱を起こす勢力が攻めやすく
なるのですから、道を整備することを止めたのではないのでは、と
思うのです。
中央の力が強かったなら、地方で官道に不備が出たら、すぐに
修復したでしょうが、そうでなければ、荒れるにまかせたのか、
もしかしたら、地方からの攻撃を恐れて、わざと破壊した可能性もあります。
参考URL
古代官道wiki
1300年前のハイウエイを探る -古代官道ロマン-
「四丁目でCan蛙」ブログの記事1
「四丁目でCan蛙」ブログの記事2
10/01/2010
青空に白い雲。夕方から雲が厚くなって雪。
しんしんと降り続けている。。。
1時間くらいで屋根が真っ白。。。
明日から新学期が始まるのに。。。
夜9時のコロン広場の写真。
人や車が通らないところは真っ白。
車道に車輪の跡が出来だしました。
ちょっと宣伝・・・
◆イベリコ豚については・・・「イベリコ・フェルミンの広場」
半島や大陸の技術が深く関わっているところなど、古代史の知りたいことが沢山でてきました。