先日、西天竜の記念碑の話題になった。戦時中、木下の駅のところに横たえられていた記念碑として建てるべく運ばれていた石の上で、「よく遊んだ」という話を聞いた。長さ8メートル、幅2メートル余ある石があれば、舞台並の広さだから、遊びたくなるのも当然だ。その当時、すでに碑文が刻まれていたかどうかは記憶にないと言うが、銘文には「昭和十九年」とあるから、すでに刻まれていたのかもしれない。『西天龍』の回顧談から⑤に記したように、「鉄道に載せられたのが昭和19年の3月26日のことである」。遠く仙台は現在の石巻市になっている稲井村から運ばれてきた。仙台石として知られている稲井の石は、碑石にされたことでよく知られている。材質は粘板岩。硯石のようなものだから、等厚の美しい石が採れるのだろう。正確には長さ8.4メートル、幅2.4メートル、厚さ0.6メートルと言われるが、根元で図ると厚さは0.54メートルほど。背面は削り込んでいるからもう少し薄いかもしれない。この石の上で遊んだという話になったとき、駅から現在地まで運んだ光景も記憶にあるという話を聞いた。どのくらい重さがあったのだろう、という話になったわけだが、稲井石の比重は2.7t/m3あるともいうから、30トン近くなる。検索しても話題にもなっていないが、これほど大きな稲井石の碑は、日本中探してもないのではないだろうか。この巨大な石は戦後まで放置され、ようやく建立に動いたのは戦後5年ほど経過してからのこと。
前面の碑文については、「鍾水豊物」余話前編で触れた。その記事では背面のことについて触れなかったが、背面に関係者の名前がたくさん彫り込まれている。背面に彫られている全文を、以下に紹介する。すべて名前である。
記念碑の背面
農林大臣
田健治郎
高橋是清
早速整爾
町田忠治
山本悌治郎
後藤文夫
山崎達之輔
島田俊雄
有馬頼寧
伍堂卓雄
石黒忠篤
井野硯哉
長野県知事
赤星典太
岡田忠彦
本間利雄
梅谷光貞
高橋守雄
千葉 了
鈴木信太郎
石恒倉治
岡田周造
大村清一
近藤駿介
富田健治
鈴木 登
永安百治
郡山義雄
農林省耕地課
耕地課長 有働良雄
仝 片岡 謙
仝 川原信次
仝 溝口三郎
技師 高松 博
仝 山田平五郎
仝 野村寛之進
仝 北川嘉一
事務官 阿部伯仲
長野縣耕地課
課長 林 直樹
技師 伊藤次二
仝 関根一左エ門
仝 笹倉外三郎
仝 菊池隆一
主事 櫻井 一
地方事務官 武田信千代
大久保清利
現役員
組合長縣耕地課長 小泉静雄
組合副長 有賀康人
仝 有賀實直
評議員事務分掌 野澤貞治
仝 北條孫七郎
仝 倉田準
元組合長部長 堀江忠也
仝 杉原定壽
元組合長縣耕地課長 穂坂申彦
仝 斎藤美代司
元組合副長 村上東治
仝 千葉胤孝
仝 高木正直
仝 御子柴政治郎
仝 征矢友三郎
仝 大槻清比古
仝 御子柴茂利
仝 倉田 正
元評議員事務分掌 原孝也
議員員
新町 野澤 祥
羽場 福島嘉藤治
北大出 村上智隆
澤 小原眞一郎
大出 北川秀雄
松島 市川千秋
松島 中坪包人
木下 堀口徳輔
木下 清水東洋雄
久保 馬場重治
塩ノ井 征矢眞三
北殿 倉田友幸
南殿 山崎清直
大泉 田中静雄
田畑 木島 競
神子柴 伊東祐也
澤尻 有賀源吾
大萱 白澤新三郎
御園 白石清治
山寺 福澤定治
坂下 中村元一郎
小澤 山岸英治郎
組合會議員
神戸 上島隆男
羽場 林 融
野澤勝一
北大出 林 保一
林 信
沢 大槻荘一
唐澤重吉
大出 田中豊一
松島 竹腰類助
有賀利三郎
市川八十吉
生坂 全
木下 小池照雄
笠原昌之進
柴 儀一
小松恒雄
久保 城取彦三郎
堀 昇三
塩ノ井 征矢孝治
征矢悦雄
北殿 倉田 襄
倉田勘一
南殿 山崎光雄
有賀貞雄
大泉 原 孝澄
原勝治郎
田畑 三澤清人
小林 薫
神子柴 加藤三治
原 業求
澤尻 唐澤政勝
大萱 白澤兵一
御園 御子柴肇
御子柴一雄「
山寺 柴勘十郎
福澤和志夫
柴 昇司
坂下 白鳥幾太郎
旧役員
新町 松田亀十
上島 武
神戸 上島定治
上島佐吉
上島喜代吉
羽場 松井喜代太郎
熊谷喜太郎
林 馨
尾坂政吉
北大出 村上正吉
野澤吉太郎
野澤秀二
宮澤常蔵
澤 小原儀十郎
桑澤良三
桑澤熊三郎
平澤 保
平澤榮一
唐澤湖藤太
大概文雄
大出 丸山盛蔵
井澤禎一郎
丸山宗十郎
田中定吉
唐澤康雄
丸山重男
唐澤関大郎
井澤純一郎
田中常彌
有賀頼三郎
増澤利三郎
唐澤悦蔵
唐澤賢造
松島 藤澤牧太郎
三澤喜芳
原愛三郎
藤澤今朝喜
中坪鞆治
中坪常三郎
市川牛太郎
藤澤岩太郎
日野正喜
日野重昌
唐澤高雄
寺平種三
有賀辰吉
原今朝一
金澤惣吉
原金一郎
柴 光雄
佐々木隆次
春日琢也
市川業修
唐澤舎人
木下 笠原鶴助
笠原正太郎
岡平兵衛
笠原明一郎
笠原道直
倉田又市
碓田徳英
小松榮一郎
吉江佐一郎
荻原政之助
笠原幸男
倉田今朝重郎
唐沢喜傳司
荻原守雄
久保 木下左門治
堀 政一
赤羽程助
馬場孫八
堀和三郎
堀 貞雄
塩ノ井 穂高傳二
征矢嘉十郎
征矢修三
加藤利三郎
征矢孫太郎
北殿 伊藤三十郎
伊藤鶴吉
伊藤邦治
倉田妻吉
入戸登一
倉田元徳
伊藤 護
伊藤雅雄
倉田順一
齋藤彦三
山崎清治
南殿 有賀正一
有賀寅吉
有賀周吉
有賀宗正
清水 磐
大泉 原 信喜
池上多摩太郎
原 又重
原亥之吉
清水孫十
唐澤賢雄
田畑 松澤郡壽
日戸傳雄
有賀要太郎
日戸傳章
加藤元嘉
松澤 多
松澤三千雄
松澤寛愛
小林政久
植田喜輄
神子柴 有賀忠一
太田徳重
高木松治郎
高木嘉一
原 治久
澤尻 池上亀治郎
唐澤泰三
有賀三留
大萱 重盛冨士太郎
小松鉾之助
重盛已喜男
小阪米蔵
原三十郎
御園 宮下今朝治郎
御子柴楯男
御子柴郡治
宮下修一郎
御子柴宗甫
山寺 福澤伊那太郎
白鳥金太郎
福澤三喜三郎
林 友石
原 博美
白鳥皎太郎
福澤敬三郎
福澤律太郎
中村昌之助
柴 綴
小澤七三
根津九市
柴 三郎
坂下 樋代準平
中村福太郎
福澤勝治郎
中村忠雄
北原正三郎
書記 太田市衛
宮沢敬助
三澤覺太郎
中坪利正
平井 勝
御子柴貞夫
笠原孫三
上田秀夫
城取義美
建設委員
委員長 原 孝也
委員 林 保一
福島嘉藤治
小原眞一郎
丸山重男
竹腰類助
小池照雄
伊東祐也
征矢眞三
倉田 襄
白石清治
柴勘十郎
副委員長 北条孫七郎
委員 御子柴茂利
中村元一郎
有賀利三郎
北川秀雄
平澤清人
有賀貞雄
野沢 祥
有賀敬三
評議員 北澤武保
山岸源衛門
組合会議員 林弥元次
大槻寳重
平澤清人
田中房雄
浦野種平
上田利雄
青木貫一
堀 安雄
倉田良修
征矢吉郎
征矢正成
唐澤梅一
原 正秋
清水英一
藤澤正雄
加藤一郎
高木助松
有賀敬三
白石軍十
御子柴正之進
柴 静雄
福澤薫三郎
細田廣光
加藤司馬朝
手塚柳三
原 眞助
原 又一
鳶職 岡谷 林一衛
土工 木下 窪田和三郎
石工 宮木 春日森治
ちなみに、稲井石(井内石)の有名な使用例として、立憲記念碑(東京都)、塩釜神社、瑞巌寺の石碑(宮城県松島町)、松島瑞巌寺参道、本州最北端の地碑 などがあげられているようだが、西天竜の碑も代表例としてあげられるだけの存在だと思う。この記念碑建設のために碑石運搬に当時のお金で18万円かかったという(『西天竜史』)。