アメリカの大統領に再びアメリカファーストを唱えたあの人が当選するようだ。「USA」を叫ぶ当選を喜ぶ声が大きい。世界中が自国第一主義になっていくのも、アメリカの低迷を見れば自然な流れなのだろう。それは日本も同じだ。一時〇〇ファーストが流行った。しかし、政治への期待の声をテレビで流すと、やはり自分中心の政策をみながみな口にする。当たり前だが、自分の生活が潤う政策を誰もが望む。昔のように「人のため」に財産を提供する人もいなければ、命を懸ける者などあるはずもない。しかし、政治には、やはり個人主義であってほしくない、そう思う。大きな視野で動かしていくものだと思うのだが、そういう道から外させたのも現政権であったかもしれない。
下野したあの時代、現政権は身に沁みたはずなのに、同じことを繰り返した。というより、国民は何を期待していたのか、それもまた自らの第一主義を見込んでのものだったのかもしれない。例えば石破さんは、かつての安倍派の力を削ぐように敗北を導いた。かつて「モリカケ問題」が話題になっても、安部さんの人気は落ちなかった。亡くなった今だからこのような敗北に繋がったが、安部さんが今もなお中枢にいたら、このような流れを国民が選択したかどうか。結局石破さんはもちろんだが、現政権はかつてのつけを負っているにすぎない。石破さんが悪いわけでも何でもないのに、それを背負わざるを得ないのは、仕方ないことなのだろう。あれほど問題になっても安倍さんに期待した人々が、いとも簡単に現政権に敗北を味あわせているのも、妙な話なのだ。繰り返すが、期待する声を発すれば、自らの第一主義に過ぎない。アメリカも、日本の一個人も、なんら変わらない。そして、それは危ない道へ進んでいる証かもしれない。
地方のリーダーは、力を示すために時の政権に寄り添う。もちろん全てではないが、地方にとっては当たり前の道だ。しかし、現実的に政治があからさまに地域に差をつけることはない(もちろん「ある」こともあるだろうが、小さな行政にそれほど差異は認められず、むしろそれぞれの行政の力量による差の方が大きい)。にもかかわらず、政治力に頼る。もちろん小さな声は届かないし、届けようと思えば道筋がある。行政はそれほど不公平ではない。「説明不足」という言葉をよく聞くが、詳細説明をすればそれを逆手にとる者もいる。均衡を保つための策を、創り上げてきたことを認め、その上で冷静に見渡せば、しなくても良い行動がたくさんあるのに、せざるを得ない立場、あるいは関係を築いている現実を認めることが、この後の人口減少した世の中の解決策だと、わたしは思うのだが、まだまだそれは続くのだろう。その策に溺れている自治体のトップが諸悪の根源かもしれない。それもまた、第一主義なのだ。当たり前だか、当選するには、他人のために働いていたらダメだからだ。この仕組み、どう見ても検討の余地あり、と思うのだが…。
続く