Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

三段松

2013-12-29 23:29:51 | つぶやき

 年末を迎え、近所でも松飾りがされた。我が家は父がこの正月に亡くなったこともあって一応喪中ということになるらしい。しかし、もともと別家でもあることからあまり喪中の意識もないが、それでも飾りをする予定はない。いわゆる喪中の葉書をだすのが通例なのだろうが、それもしなかった。年賀状が届いたら届いたでその時考えようという感じで、妻はまったく喪中の意識はなく、きっと来春も元旦に届いた年賀状に返事を出すのだろう。もともと喪中とはその家にとってのものという考えでいたから、例えば妻の父母が亡くなったからといって喪中の葉書を出す予定はない。さすがに自分の両親ぐらいは気を使おうと思っていたが、その父もこの正月に亡くなって間もなく1年ということもあるからあらためてこの時期に「喪中」を表す気にはなれない。

 そういえば今年は春先に地元の神社の注連縄作りがあって、当番となったわたしの隣組がその役を担った。注連縄作りに出向いて気がついたのは父と同じ頃に亡くなった家では出てこなかったことだ。「私も出ないほうが良かったのかも」と心配になって神社の役員に聞くと、「本人の考えしだい」と言われたのでそのまま注連縄作りに参加した。四十九日も過ぎていたので良いだろうというのが解釈であった。

 さて、飯田のマチを歩くと街路の柱と言う柱に松が縛り付けてある。いわゆる三段松の形の良いものがずらりと並んでいるのだが、マチであるから自分達の山から採ってきたはずもない。正月飾りについては2008年にちまたのホームセンターで調べたものを扱ったことがある。毎年この時期になるとホームセンターで売っている飾りが気になるのだが、今年はほとんど見て歩くこともできなかった。そんななか、マチで飾られているような松のみを売っているものを見たが、よく揃った三段松が並べられていた。これらの松がどこから調達されるものか興味が湧くのだが、山国である長野でも松を手に入れるのは容易ではない。こうした松が地元で調達されたものなのか、それとも中国あたりから仕入れられたものなのか。マチ中に飾られた松は大量である。こうした松がもし他国からやってくるとしたら、もはやそこまでして松を飾らなくてはならないのか、などと考えてしまうが、もちろん自国のものと思いたいものだが・・・。


コメント    この記事についてブログを書く
« 気になる世界 | トップ | 四半世紀を終えて »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事