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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「赤渋の水」湯元

2012-06-23 23:36:14 | 歴史から学ぶ

 薬師如来の石仏はちまたでお目にかかることは滅多にない。わたしの記憶の中では下伊那郡高森町大島山の県道端に座している薬師瑠璃光如来くらいしか頭に浮かばない。

 先日上伊那郡箕輪町沢の木曽山脈麓にある長田自然公園を仕事で訪れた。ここに「ながた荘」という宿泊施設と「ながたの湯」という温泉施設が並んである。もともとはながた荘だけであったが、平成10年ころにながたの湯が併設された。以前今の部署で働いていた際には何度か仕事の関係で利用させていただいたが、その際にはまだ温泉施設はなかったはずである。その後温泉施設ができたことは知っていたが、その後利用したことはない。かつて上伊那郡内には温泉施設は皆無だったように思う。いわゆる竹下首相時代のふるさと創生事業によって伊那谷では温泉掘削が盛んになった。各市町村に温泉施設が登場し始めたわけで、上伊那郡内でもそれより少し遅れて温泉施設が開業した。「ながたの湯」は郡内では遅い方の開業だったと記憶する。そんなこともあって新たな温泉施設という印象が当然あったわけであるが、先日そのながた荘の脇でご覧の石碑を目にした。「瑠璃光如来」と刻まれた石碑である。冒頭に記したように薬師如来の石仏は珍しいものでとくら「瑠璃光如来」と刻まれた碑は始めてお目にかかった。薬師瑠璃光如来を略しているわけで、「薬師如来」という銘文ならともかく、「薬師」といういわゆる主文を略したものがとても新鮮だったわけである。そんなこともあってどういう意図で建てられたものだろうと石碑の裏書を読んでみた。そこには次のように記されている。

 明治四十二年四月 吉祥日
 湯元発見者 当村唐沢市十立之

 ここに「湯元」とあるように温泉をにおわすような言葉が記されているのだ。「箕輪町の石造文化財」には「明治四十二年、長田の湯(赤渋の水)を発見した唐沢市十氏が、薬師如来にその薬効を願って、湯元に「瑠璃光如来」と刻んだ文字碑を建立した」と記されている。ようは正式に温泉とは言えなかったかもしれないが、それらしき水が明治時代に発見されていたわけだ。もちろんその湯元と今の源泉はことなるのだろうが、このあたりに温泉の出る気配はあったということになる。まったく新しいものでこのような歴史は知らなかったわけであるが、温泉とか鉱泉といったものの近在には薬師如来とかそれらしい地名や施設があったりする。伊那谷では古くから「小川の湯」といって知られていた下伊那郡喬木村小川にある湯の近くには医泉寺という寺がある。ここにやはり薬事堂があって、その脇から「医水が湧き出て、この水で傷口を洗えばすぐ治るとか、この水で湯をたいて入れば病気がなおるというので小川の人々は昔から有難く思っていた」という(『喬木村誌』)。それに因んで寺の名前がついたともいう。そして「小川の湯にわく水もここから脈を引いている」のだと言われているのだ。今でこそ現代の「温泉」にとって代わられてしまっているが、このような古くから伝わる湯治の伝承も数少ないが残っている。


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