Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

四半世紀を終えて

2013-12-30 23:52:55 | つぶやき

 平成も25年を終えようとする。考えてみれば昭和生まれだから昭和が主戦場であって、平成は戦後という印象を持っていた。だから平成はもはやわたしにとっては余生に架ける中継時代のようなイメージがある。ところが気がつけばもう25年。ようはわたしの人生の半数を数えるほどになった。もはや昭和は過去の時代、と誰もが思うのかもしれないし、昭和を知らない若者がほとんどとなった。しかし自分を育んだ時代は明確に昭和。だからこそ四半世紀を終えた平成がそれほど長かったという印象を持たない。歳をとるほどに1年が早い、という意識が平成を短いと印象付けるのかもしれない。

 ところが先日も四半世紀を追憶するテレビ番組を見ていて思ったのは、平成時代の歴史あるニュースの現実である。これほど長いものかと思わせるほど、平成以降の変化は著しい。ではわたしにとっての平成とは何だったのか、ということになる。わたしの手元には終活に向けた記録がある。それを紐解くと、やはり昭和の記録が多い。それらは昭和といっても成人以降のもの。ようはたった10年ほどの記録が平成四半世紀より多いのである。なぜかといえばそれほど昭和末期の時代に歩き回ったということだ。それがわたしの中に蓄積されているかといえば記憶にははっきりしていない。無駄な時代だったとまでは言わないまでも、闇雲に発散していた時代だったのだろう。だからこそはっきりした蓄積とならずとも、あの時代が長かったと思わせるのだ。いっぽう平成以降は記録をしつかり残してこなかったとも言える。いい加減さが増して、その場限りの言い逃れを続けてきた結果でもある。この1年の、とくにここ数ヶ月のわたしは記録などほとんど残していない。あえて言うならこの日記の意味不明な綴りのみかもしれない。あえて「これだけは」と捉えた上での綴りであるが、今年ほど内容のない日記はなかったといえる。

 さて、平成元年を紐解くとこの年はまだ各地の祭りや年中行事を見て回っていた。まだまつり同好会を主催していた故田中義広氏のまつり見学の運転手をしていた時代である。そしてなんといってもこの年に身を固めている。ようは平成以降がわたしにとっての家族を構成する時代となって今に至る。もちろんそれは昭和と大きな違いを彩ったわけであるが、わたしの行動エリアも同時に変わったゆく。自ずと各地の祭事を見て回るのはその後めっきり減っていく。仕事が忙しくなったことも要因にあるが、とはいえそんな時代にいくつか執筆の仕事を負った。忙しくてもそれを成しえる気力があったともいえる。このように振り返ってみても、やはりそう長い平成であったとは思えない。この後、平成により長く身を置くことになるが、いつまでもわたしは昭和人間であることを記憶のどこかに残し続けるのだろう。


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