Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

家構えと表札と、車①

2022-11-10 23:22:03 | ひとから学ぶ

 しばらく前に妻の実家に駐在さんがやってきていろいろ話をしていったという。隣近所といろいろある妻は、それこそいろいろ相談したようだが、駐在さんはそもそも担当の地域を巡回して家庭、事業所等を訪問し、犯罪の予防、災害・事故の防止等、住民の安全で平穏な生活を確保するために必要な事項の指導・連絡や住民の意見・要望等の聴取を行う巡回連絡を行わなくてはならないのだという。がしかし、我が家もそうだが、駐在さんが家にやってきたという姿を、わたしは見たことがない。

 それはともかくとして、その駐在さんが言うには、「この地域(下伊那)は貧しい」らしい。内容からすると家構えを見てそう捉えているようだ。その駐在さん、中信の方の方らしい。中信といってもいろいろで、一概に言えないことは言うまでもない。しかし、松本から安曇野あたりの家々を見ていると、屋敷が広いうえに立派な塀、あるいは屋敷林があって、家の構えも立派な家が目に入る。確かにそう思われても仕方がないほど、この地域には同じような屋敷構え、家構えの家はあまり目につかない。

 同じようなことは、下伊那のある村へ行ってわたしも感じたことがある。「この村は貧しい」と。やはり家構えが違うわけで、その村には前述したような立派な家がほぼ皆無。もちろん家構えが立派だから「お金持ち」と断言できるものでもないが、まんざら嘘でもないだろう。したがって民俗にかかわってきただけに、家構えは訪れた地域で意識するようにしている。もちろん地域性のようなものがあって、みなが倣う傾向があるから、裕福かどうかに関係なく形成される家構えというものもあるだろう。

 とはいえ、昔ならどこの家にも生活感があったが、今はそうではない。空き家なのか、それとも生活の主体は別のところにあって別荘のように利用されているのか、そのあたりを予想したりする。先ごろ記したが、ある山の中の集落では、かなり生活感が見えても、その様子から移住者が多いと感じる集落もある。山の中なら話を聞けば「昔の話が聞ける」というものでもない。むしろ山の中の方が、今は話を聞くことができない状況に陥っていたりする、移住者ばかりで…。会社に入って山の中に仕事に足を運んでいた時代とは、明らかに異なる風景がそこにはあり、そして飛び込みで話を聞くことに躊躇することは多い。加えて昔なら「ピンポン」とやれば笑顔で迎えてくれたものだが、今ははなから「怪しい者が来た」という雰囲気で会話は始まる。そういえば、と気がつくのは、以前は怪しい宗教勧誘者も含め、家々を訪ねる営業者がいたものだが、とんと顔を見なくなった。きっとそうした人々も屋敷構えや家構えを見ながら足を運ぶのだろうが、実態としてそうした人々を見なくなった、ということは明らかに人々の意識に変化が表れていることと、そもそもそうした行動に目的が伴わなくなったのかどうか、意識変化とともに何をもって過去のそうした人々の行動が代替されているものなのか、興味深い点でもある。

続く


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