Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

いとも簡単に・・・

2021-01-04 23:25:51 | ひとから学ぶ

 新年の業務が始まった。4日から始まる会社は少ないこともあって、世間は静かだ。それは新型コロナウイルスのせいというわけではないが、高速道路上も少し前の「密」から「疎」に変わっている。世間で挨拶を聞くたびに「コロナ禍」という言葉を聞かないことがなくなった。が、きっとわたしの過去記事にも間違いがあるかもしれないが、「コロナ渦」と記載する間違いが当たり前のように流れている。理由はきっとわたしが間違いをおかしたのと同じ理由かもしれない。似ているので漢字変換かける際に「ウズ」とか「カチュウ」とキーを叩いて変換された「渦」を使ってしまっている。「ワザワイ」と打たなくてはならない。明らかにワープロ世界の間違いである。まだ「コロナカ」と打って変換されるほどメジャーにはなっていない。

 さて、世間では緊急事態宣言が突如として現実味を帯びている。もう緊急事態宣言など発令されないのだろうと思っていたら、まさに「いとも簡単」に宣言をする雰囲気に・・・。もちろん感染者が急増しているから考慮して当然のことだが、現政権では「もうありえない」という印象があったのに、変わり身がスゴイ。これほどいとも簡単に世間の雰囲気を変えるのなら、なぜもっと早く対応できなかったのか。例のキャンペーンを停止させるのにずいぶんためらったスガさん。感染者をこれほど多発させる前に人の移動を制限していたら、これほど長引かなかった「かもしれない」。もちろん異論はたくさんあって、キャンペーンが要因ではないと、いまもって叫ぶ著名人も多い。多発してから停めてももはやキャンペーンが要因だったかははっきりしない。だから停めても感染拡大に影響しないところまで至っている。きっと「それみろ」と言う人もいるだろう。しかし、雰囲気としてはもはや共存しかないというイメージがあったから、動く人は動いた。きっと、再度の緊急事態宣言は、あの緊急事態宣言ほど世間は緊張感を抱かないだろう。「こんなこといつまで繰り返すんだ」、そう思っている人たちも多いだろう。けして否定はしない。そして「オリンピックは実施されるんだろう」、そう思っていたが、その期待をも裏切ってしまったような流れだ。空白の1年どころではない。これは、しばらく晴れることなく続く。わたしたちの社会が脆弱であったことに、だれもが気づくだろうし、これほど簡単にシフトダウンするものなのだ、とこの社会の現実に愕然とするだろうが、事実だ。


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