⇩ 拡大図
自然石道祖神の分布図を作成しようと『長野県道祖神碑一覧』から自然石らしき物件を地図に落とし込んでいくのだが、一覧に記載されている地名がどこなのか「わからない」ことは多い。こういう場合は、ネット上で地名を入れて検索しておおよそどこなのか推定していくのだが、まったくわからない物件も多い。何より国土地理院の地図上に地名が示されていないものは厄介でしかたない。こうしたネット上で検索しても不明なものもある。なぜかといえば、過去の集落、ようは廃村のような集落は国土地理院の地図に示されていない。こういう時には、古い地図が必要になるのだが、近在のものはあっても県内全域所有しているはずもない。
旧美麻村の千見には自然石道祖神が多い。その千見の地名が前掲書にあげられているのだが、国土地理院の地図に示されていない地名が多い。例えば「美麻村千見不須」と検索すると「村影弥太郎の集落紀行」にある「不須(ぶす)」が登場する。いわゆる廃村を全国歩いておられる方で、この方のページは将来にわたって貴重な資料になるだろう。そもそも「不須」と書いて「ぶす」と読むなどということは分からない。フリガナまで振ってある。そして彼のページには小さな国土地理稲の局所図が貼ってある。「不須」は昭和24年の図を引用している。当時の地図は集落がたくさんあったから紙面を見ても賑やかだったことだろう。今の国土地理院の地図などまったく集落名が消えている。残念ながら彼のページに貼ってある図は小さいため、現在の地図から場所を推定することはできない。紹介されている文章から「不須」については「千見地区の南部にある」というので大雑把に推定するしかない。
悩んでいると少し記憶がよみがえった。そういえば半世紀近く前に市町村地図を集めていた。旧美麻村のものもあるのでは?、と思い、倉庫の箱の中から探してみた。昭和54年12月20日付で役場から送っていただいた地図が見つかった。それがここに掲載した「美麻村全図」である。5万分の1だから詳細ははっきりしないが、あるていど場所は確定できる。「不須」は現在の地図で「竹ノ川」と表示されるすぐ北側にあった集落。そのあたりに今の地図にも家屋らしいものがいくつか表示されている。ほかにも同じような事例がいくつもあるのが、この千見の特徴でもある。この後現在示されている集落もどんどん消えていくのだろう。古い地図が貴重になってくる、そう思い知らされた。なお、拡大図の下部に「高地」が見える。「高地」については以前「挙家離村のムラ“高地”へ」を8回に分けて触れている。
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