Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

危惧されること

2017-03-12 23:41:07 | つぶやき

 東日本大震災から6年。もう6年なのか、それともまだ6年なのか、その立場によってそれぞれなのは当たり前だろう。それにしてもあれほど広範に、そして壊滅的な被害だっただけに、その後の空間計画は一筋縄でいかないのは当たり前だろう。そして福島原発はこの被害に輪をかけた。復興といってもそこには大きな時間的格差が生じる。10年たったとしても、その進度に大きな違いが生じる。でも同じ東日本大震災によるものなのだ。

 本日の信濃毎日新聞朝刊総合面に危惧すべきことが書かれている。震災前にはそれまでの公共事業の常識通り、国と自治体がお金を出し合って進められてきていた。ようは自治体にも負担があるから一気に事業を進めることはできない。ところが震災後、それまで進めていた公共事業ですら復興に必要な事業として国が全額負担で進めたため、一気に進捗した。一時復興と言いながらまったく別のところに予算が使われていると批判が相次いだことがあったが、そもそも東北に公共事業特需がやってきて、本来は時間をかけて懐具合を見計らってやっていた事業があっという間に進んでしまったというわけだ。何が必要で何が必要でないか、そんなことを考えている余裕もなく、地域が変わっていっているかもしれない。そしてそりスピードに住民がついていけているのかどうかも不安だ。その一方で報道ではなかなか復興が進んでいないというようなことも流す。これほど大きな被害を広範に受けたのに、そう簡単にいかないのは当然なのだが、人々はいろいろの視点でそれぞれが思いを発するから、本心はなかなか見えないし、それで良いのかどうかもなかなか判断ができないはず。そして例えば巨大防潮堤だ。土木構造物は永遠ではない。ただでさえ日本中にたくさんのモノを造り続けていて、それらが古くなったのになかなか更新できないというなかで、巨大な構造物を短期間に造ろうとしている。果たして今造った構造物が、ちゃんと維持されていくのかどうかも危惧の材料だ。そのことを前掲の新聞でもしっかり捉えている。「大量の建物の完成時期がほぼ同じため、大規模改修も同時期に押し寄せる」と先のことを考えると復興したとしても悩みが嵩むばかりだ。

 何より特需ではないが、国が、あるいは上位機関が構造物を造ってくれるというときに、無駄に大きなものを造ってしまうと、改修時に困惑する。なぜかといえば、無駄に大きい分、改修費が莫大にかかることに。永遠に国が管理し、再び改修してくれるというのならいいが、そんなことをしていたら国だって潰れてしまう。不適切な意見かもしれないが、そもそもすべての集落を同じように復旧する必要があるのかどうか。その後も続く地震災害に加え、近年は災害にことかかないほど多様な被災に遭遇する。日本は災害の国である。人口減少時代にあって、今まで通りの災害復旧理念で良いのかどうか、とりわけ大震災がなくても人口減少の著しかった東北の場合、危惧されるべきことがたくさんあるのではないだろうか。


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