Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

家構えと表札と、車②

2022-11-11 23:43:23 | ひとから学ぶ

家構えと表札と、車①より

 地域によって家構えどころか、そもそも集落の構え方が異なるのは言うまでもない。前回触れたように平らな地域である松本や安曇野と、段丘ばかりの伊那谷が異なるのは当たり前だ。いわゆる散居状態の農村地帯は、屋敷が大きくなるのはふつうだ。わたしの生まれた飯島町も、どちらかといえば農家は点々と散在していた。したがってほ場整備が行われると、町道から家まで長く私道が付けられることが多々あった。昔なら最短で家と家を結ぶように道があっただろうに、整備されたことにより、屋敷までの道が長くなった家も多いのだろう。したがって隣の家に行くにも、「以前より遠くなった」と思う人はあっただろう。整然と矩形にほ場が並べられると、屋敷の配置はどらちかといえば二の次になった。疎遠になるきっかけでもあっただろう。

 このように公的道路から屋敷までが長くなると、その道を通って他人の家まで出向くのは勇気が必要になる。とりわけ見ず知らずの者であればなおさらだ。なぜならば歌舞伎舞台の花道のようなもので、周辺から丸見えなのだ。点在する家々の場合、こうした景観上から泥棒が入りにくい環境でもあるし、いっぽうでむしろ人口が減った農村では人目が消えて入りやすい環境であるかもしれない。しかし繰り返すが、実際のその花道を通ろうとする側は、人目があろうがなかろうが気にするはずだ。したがってわたしも同様に、あえて花道を通って見ず知らずの家を確認することはできず、「難しいエリア」と捉えている。家構えを確認しづらい地域と言える。

 こうした際に役に立つのが空撮であり、グーグルマップは良し悪しはともかくとして、他人の家をうかがうツールにもなった。

 さて、家構えとは言うものの、塀や屋敷林で囲まれていると、実際のところ家の姿は望見できないことが多い。家構えではなく「屋敷構え」で予想するしかないわけだ。とりわけ以前試みた例が玄関の向き、あるいは玄関の姿である。玄関の向きが、かつてのように表の顔として捉えられているかどうか。あるいはその玄関に魔除けがあるのかないのか。これらはもはや玄関が見えないと判別できないもの。まさか用事もないのに人の屋敷内に足を忍ばせるわけにもいかない。あきらかに泥棒と間違えられるかもしれない。問われてその意図を答えるわけにもいかないだろう。ベールに包まれがちな現代の家々は、訪ねにくいのである。

続く


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