我が家の田植えはまだ先だが、ちまたではほとんどの水田で田植えが終わりつつある。今年仕事でお世話になっている方にも、ようやく田植えが終わった水田があった。我が家ではハラと呼んでいた空間に水田があり、広い範囲の水田が見渡せる高台である。この地域は赤土と言われる火山灰土が表面に露出しているところもあって、かつて我が家にもこのエリアに水田があった。しかし、約40年ほど前のほ場整備で、この高台から我が家の水田はなくなった。我が家から遠いところにあった水田であるが、思い出すと最も懐かしい思い出の詰まった空間だった。まさに赤土地帯で、少し高くなったところは水が行き届かないため畑になっていたが、赤土が露出していたものだ。
前述の仕事でお世話になっている方は、アラジロが5月も20日を過ぎたあたりだった。数日後にホンジロを掻いたが、その間この方は水を掛けっぱなしだった。掛けっぱなしということは、一昼夜はもちろん数日間ずっと掛けている状態である。もちろん水がもったいないので掛け口を絞ってのことだが、耕作者によっていかに管理のしかたが異なるかがよくわかる。我が家(妻の実家)の水田は、水源がため池のため、基本的に夜間は掛けないのが了解事項である。もちろん絞って掛ければ無駄に掛けることはないが、ため池の水の量などしれたもので、本気に掛け流してしまうと、一気に水量は減ってしまう。水源に乏しいところほど、了解事項は厳しくなるだろう。そこにいくと河川に水源を求めている地域は、それほど厳しいことは言われない。もちろん河川にもいろいろだから一様でないことは明白だが、ため家だけに水源を頼っている地域とは明らかに意識が異なる。
ハラで水田耕作をされている方は、かんがい期間中夜間に水掛けをするのは当たり前のようだ。専業で農業をされている方で、休日農業ではないが、水管理になるべく手を掛けないという様子がうかがえる。いっぽう、年配の方は考え方が違う。ほぼ毎日のように早朝4時ころ水を掛け始めて、数時間後に掛け口を閉めている。年配の方だから、というわけではないだろうが、水管理に限らず、代掻きから田植えまでの多様な姿がうかがえる。
終わり
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