かつて毎日通勤に使っていた飯田線。この日記の平成19年4月から6年間は、多くは電車の中で記していた。その後もたまに電車に乗り、飯田線に関する日記をいくつか記してきたところだが、変わらぬ光景を車窓から眺めながら、車内の後継にも気を留めてきた。そうした観点の日記も何度か記した覚えはある。最寄りの駅の光景を思い出せば、当初は駅舎が古いものだった。新しくなってからもずいぶん時が経つわけだが、人口減少時代の光景をちらほらと見つける。何より写真の駅ホーム。かつてはホーム脇のスペースにこれほど草は生えていなかった。数年前には背丈にも草が伸びて、ホームのスペースを狭めるような状況だったが、最近はそこまで草丈が伸びる光景は目にしていない。しかし、かつては、これほどの雑草の勢いはなかった。その理由は、「老人会」と当時称していたかは定かではないが、高齢者の有志によって美化活動が行われていた。その方たちが手を出せなくなって以降、この光景は夏場の当たり前の姿となった。加えて今回写真を撮ろうとした理由は、なぜか線路内にも草がけっこう生えている。通常線路内は除草剤が撒かれているようで、ほかの駅をうかがっても、これほど草は生えていない。この駅に限って除草剤が効かなかったのかどうかはわからないが、雑草空間が目に付く。そして駅の空間を出ると、線路には当たり前のように草は生えていない。ちょっと不思議な光景、といっても除草剤を撒かなければ、どこもかしこもこうした光景になるのだろうが…。
車内の光景はそれほど変わるともないが、高校生が空間を圧倒するのはいつも通り。ただし以前にも記したことがあるが、わたしが高校に通っていた時代に比較したら「満員」になるなどということはない。当時は都会の車内のように、通学時間帯は押し競饅頭状態であった。こんな光景は、もう飯田線にはやってこない。不思議なのは、当時は廃止対象路線に挙げられていたのに、閑散とした車内が当たり前になったのに、今はそれがない。しばらく前に記したが、辰野町へ都会から移り住んだ人は、駅が近いことを住みやすさのひとつにあげ、リニアの駅に連絡する路線だから「無くなることはない」と口にされた。JR東海は既存の駅への連絡など飯田線に関しては全くなかったから、そんな視点を持ち合わせていないだろうが、周辺自治体からしてみれば「連絡が必要」と考えて新駅の設置も当初は目論んでいた。もちろん果たせなかったが、金貿易への連絡整備を考えている。そう思われて当然なのかもしれない。
だいぶ昔にも記したが、このごろはちょっとした雨ですぐに「不通」になる。旅行計画の立たない路線であることは間違いない。夕方の雷雨で不通になって、帰ろうと思ったら電車が動いていない。そのうちに動くだろう、と思って待っている人がいると思ったら「自分だけ」、という体験もある。今どきは、不通になると高校生は自家用車で迎えが来て帰ってしまう。いずれ「動く」とわかっていても、伊那市駅でわたしだけホームに立った覚えがある。荒天=「動かない」、よそから来る人には伝えておかなくてはならないことだ。
さて、最寄りの駅から乗って5分ほどのところの沿線に、この時期必ず咲いていたキキョウが、数年前から全く姿を見せなくなった。雑草は目立つが、その中にあったキキョウは、季節感を抱かせてくれたのだが、もう還ってこないだろう。
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