今朝の天気は、
と障子戸を開けて外を望むものの
暗闇に地面すらはっきりしない。
「こんなに暗かっただろうか」
そんな感想が自らを問う。
わたしは今
かつて通った生家から学び舎への道筋よりも
はっきりとかつての学び舎に近いところに住んでいながら
この暗さに予想以上の朝の暗さを抱く。
きっとかつての生家を後にする世界は
今以上に暗がりであったと。
冬至を経たものの
今年はカボチャにも
柚子にも無関係だった。
妻が風呂に、と
用意した柚子は、
いまだ風呂の淵に置きっぱなし。
ほぼ私だけが入る風呂に、
いつ柚子を入れるか、
などと考えているうちに冬至は過ぎてしまった。
カボチャも同様で、
けして食べられない環境ではないにもかかわらず、
介護で泊まることの多い妻の思いも、
冬至という日にうまく出くわすこともない。
ようは私一人では
冬至を体感することもない。
「男ってそんなもの」
と、また妻に言われるのだろう。
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