「蚕玉神」辰野町沢底鎮大神社北側(令和6年8月26日撮影)
今年7月、竹淵三郎平作の辰野町上辰野の「霊符尊」という珍しい石造物について触れたが、竹淵三郎平は1845に生まれ、1907年に没している。『伊那路』2021年7月号へ上辰野堀上荒井の道祖神について記事を載せたところ、竹淵三郎平の末裔の方から連絡いただいた。実は本日記でこの道祖神について書いているような気がしたのだが、検索しても登場しない。道祖神では唯一、堀上荒井の近くにある堀上竹原の道祖神について触れているだけだった。8月26日の長野県民俗の会例会後の見学会では、通過地点であったこともあり、堀上荒井の道祖神近くの蚕玉様(前述の霊符尊と同じ所に祀られている者)に立ち寄ったが、竹淵三郎平作の蚕神では代表作である。この蚕玉様もここで触れているかと思ったら、検索上に現れない。ちょっと意外だった。
さて、竹淵三郎平作の石造物は特徴的だ。碑の上部に道祖神でも蚕神でも日輪と月輪が彫られる。上辰野のものは、女神像を蚕を飼う籠の中に彫りこんでいる。蚕の籠、わたしの生家では「かごろじ」と呼んでいたが、蚕を飼う際には必ず使われたもので、この籠はたくさんあった。養蚕繁盛を願う意図が、この像から強く感じられるわけである。この見学会を終えた後、ちょっとしたトラブルがあって、見学会で午前中訪れた辰野町沢底の鎮大神社を再度午後訪れた。午前中訪れた際には気がつかなかったのだが、鎮大神社のすぐ北隣に、同じ竹淵三郎平作の蚕玉様が祀られていたことに気づいた。そもそも鎮大神社の隣に小さめの石の鳥居がある。ここに「何が祀られているのだろう」と気を留められなかったのは、予定時間を気にしていたせいもある。石の蚕玉様の本尊の手前に、そのために鳥居が設けられているケースは珍しい。おそらく蚕玉様の正面に、蚕玉様へ誘導するように据えられたと思われる。
ここの蚕玉様は、上辰野の物より一まわり大きい。上部の月輪は正面を向いているが、石の方に合わせて日輪は斜め上を向いて彫られている。上辰野のものと違って女神は桑を左手に持つ。そして右手には繭を持っているようだ。上辰野のものと同じように女神はかごろじの中に掘られていて、その周囲に縁起物がいろいろ彫りこんである。上辰野のものは南向きの日当たりの良い場所に祀られているが、ここのものは、木々に覆われていて、あまりひと目にはつかない(だからこそ午前中気づかなかったわけだが)。なお、背面に「明治十四年 六月吉日」と刻まれている。
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