Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

年は変わった

2021-01-01 23:37:33 | つぶやき

 すっかり年賀状も廃れているこのごろ、相変わらずというか大晦日になるまで、すっかり何も考えていなかった。例年なら妻から「今年は何枚いる?」と聞かれて「○○枚」と答えると購入しておいてくれたのだが、今年は枚数を曖昧にしていたら、まったく年賀はがきが用意されていないことに気がついた。そもそも妻も「もう最低限」と言って今年は枚数制限を宣言していたので、ひとのことなどまったく意に介していなかったようだ。

 何度も記していることたが、かつてと違って郵便局は遠い存在になった。伊那谷に暮らしていれば伊那市、駒ヶ根市、飯田市、これらの地域に住んでいない者にとって郵便局など全く遠い。同じ飯田市といっても遠隔地があるから、ごく限られた地域しか郵便局は身近ではない。もちろん平日なら身近にある郵便局が開いているが、休日は開いていない。加えて集配局が前述した市にしかなく、まっくたもって郵便は局も遠ければ、投函してもすぐに着くという郵便は昔の話だ。ということで、年賀状もちゃんと意識していないと、もはや三が日以降の受け取りとなってしまう。その通り、今年も大晦日に年賀状を買いに行く始末だから、投函は1日、あるいは2日、それも地元の郵便局だから開いていない。「いつ届くことか」、となる。

 ということで駒ヶ根の郵便局まで足を伸ばした。当初はお年玉付年賀切手を買うつもりだったが、ゆうゆう窓口に行って問うと「ありません」と言う。普通の年賀切手は、と問うとやはり「ありません」と言う。まさか「本当かよ?」などと言うのも失礼かと思って諦めたが、そもそも窓口業務をしている人ではないので慣れていない。その存在すらわかっていない様子。結局年賀はがきを購入したわけだが、わたしの番に至るまでもずい゛ふん時間を要した。ただでさえ開けている局が限られるのだから、地域の中央局は「営業してよ」と思うが、妻に言わせる「わかっていることのだから、開いているうちに用意する」のが常識だと戒められた。とはいえ、郵便局に行ってわかったことだが、昨日(31日)は開いていたこと、そして元旦も開いていることがわかった。「えっ、元旦に開いている・・・」、意外と思った。そして「それなら31日もやってよ」と思ったが、自宅に帰ってネットで調べて解ったことだが、長野県内中で元旦に開いている郵便局は、長野中央と、松本、そして駒ヶ根の3局のみ。ほかの2局はわかるが、なぜ駒ヶ根だけ開いているのか、まったく意味不明。あとの小さい郵便局は期待もしないが、きっとしばらく開いていないのだろう。

 かつて2日というと「初貯金」といってどこの金融機関も開いていたものだが、これもまた昔の話。小さなところで開けていてもお客さんが来ないからなのか、もはや無視され続けている。とりわけ身近だった郵便局がこうなんだから、地方でも小村にあらずそこそこ人間が暮らしていても、もはや相手にされていない、というわけだ。

 と、元旦に記すには幸先悪い日記となってしまった。


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