今日は病院へ行って母の今後のことについて先生と話をしてきました。
仕事で家にいないことが多い私はともかく、朝から夜中まで母に付きっきりの父の負担も相当大きくなってきており、そろそろ限界のところまできているように感じます。
現在は週3回のデイサービスを受けているのですが、それを特保施設に週3日のショートステイという形にしてもらうことにしました。
すぐにというわけにはいかないそうなのですが、手続きはして頂けるそうです。
一番の問題は母が拒否していたことなのですが、先生が何とか納得いく説明をしてくれて感謝しています。
父としては、つらくなってきていることは事実でも、やはり母が「イヤだ」と言っている以上強いことが言えないのです。
月に何度か自宅を訪問してくれるケアマネジャーもまだ二十代の若い女性で、なかなかうまく説得ができない状況でした。
そんなとき本来は私が決断して強く説得すべきところを、今日先生がしっかりと話をして下さいました。
母も本当に納得してくれたかどうかはわかりませんが、こういう場合信頼のおける第三者の説得が一番効果的なのでしょう。
少なくとも母も完全入所という形ではなく、週3回お願いしてみるというところで妥協してくれたのかも知れません。
母には感謝しています。
決してそれが母にとって最善であると思っているわけでもありません。
でもそれは父も同様のこと。
父が倒れてしまっては、どうしようもないのです。
そうなれば、私も仕事を辞めなければいけないでしょう。
病気の母ではあるのですが、そんな母にも私達同様に少しつらい思いを分け合ってもらわなければならないのです。
多系統萎縮症は決して治る病気ではありません。
かと言って直接命を奪われることもありません。
先生には「10年以上も。」と言われています。
むしろこの3年間、これほど病気の進行が非常に遅いのは稀なのだそうです。
先生の話では、もっと病気が進行して完全介護の状態になれば在宅介護も可能なのだそうですが、他の同じような病気の方々の場合はやはり施設に介護をお願いされる方が多いのだそうです。
一般の考えからすれば第三者に任せてしまうことは非情のように思えても、先生の話では在宅介護ではかえってつらい結末になる場合も少なくはないのだそうです。
それは本人にとっても、家族にとっても。
みんなが少しずつ勇気を持って、みんなが少しずつ我慢して、そうやってこれからも家族みんなで笑っていけたらと思います。
あまり考えすぎず、でも邪見にはならず、今の状態をあるがままに。
今できることを普通にさりげなくやり続けられたら。
家族バラバラでやりたいことやっていた頃より、もしかしたら今の方が幸せなのかも知れない・・・・・ふと、そう思える時もあります。
頼んでいた本が来ました。
「どうして僕はきょうも競馬場に」。
亀和田武氏の書かれた地方競馬探訪記です。
まだ少し読んだだけなのですが、結構面白い内容です。
少しだけ紹介。
著者がかなざわいっせい氏と現在中止が決まった旭川のナイター競馬に出かけたときのひとコマ。
”・・・・・私が心地よくうっとりした境地に浸っているそのときに、隣の男は「それに一体どんな意味があるというんですか?」と訊いてきたのだ。なんと無粋な奴だろう。
「じゃ、訊くけど、かなざわ君。きみは何か意味がないと競馬場には出かけないの?」
「そりゃ、そうです。意味があるから競馬をしてるんです。僕の場合は馬券です。馬券を当てるのが、意味であり目的なんです。旭川まで来たのだって、あくまで馬券をブチ当てるためです。そんな全場制覇がどうとかいう不純な動機とは、全然違いますよ。」
どうだ、まいったか。かなざわいっせいは勝ち誇った顔で言い放った。
馬券を当てるのが意味だというけど、じゃあ現実問題として馬券をハズし続けているキミの競馬人生というのは、まったく無意味だということになるじゃないか。そんな言葉が喉まで出かかったが、むろん私はデリカシーのあふれる男であるから・・・・・”
微笑ましいエピソードです。
どうして僕はきょうも競馬場に。
どうして僕はきょうも生きている。
そんな哲学じみたことをも考えてしまいました。
そこに何かがあるから。
そこに誰かがいるから。
そこに、今はまだ知らない未知の世界があるから。
いろいろなことが知りたい。
美しさも醜さも、喜びも悲しみも。
今はまだ見えないものが、やがて見えるようになってくるかも知れません。
競馬は競馬場に行かなくては、その楽しさの半分もわからないと思いますね。
<本の紹介>
「どうして僕はきょうも競馬場に」 (本の雑誌社)
亀和田武著 定価¥1600(+税)
「手づくりジュース 353レシピ」 (池田書店)
川野妙子著 定価¥1300(+税)
本を読みましょう。
競馬場へ行きましょう。
それでは、また。