地方競馬のたどる道。
とうとう大きな波がやってきてしまったという気がしています。
岩手競馬の融資断念の決議。
詳しくは、セントレア様のブログにて。
お金のために始まり、お金のために終わる。
これまでの貢献も、歴史も、文化も、そしてそこに生きる人々も、まったく関係ないかのように時の流れるままに終わりを迎えることになってしまうのでしょうか。
赤字。
まぎれもない事実に、苦肉の策のような自転車操業的な方策を余儀なくされ、いまやそれすらもかなわない状況ということでしょう。
本質的な打開策も見つからぬまま、タイムアップを迎えてしまった一競馬場の終焉はあまりにも寂しすぎます。
これは競馬ゲームの世界ではありません。
再び、始めからリセットすることはできません。
そこには、わずか数十年の人生を、その世界で生きようとする人々がまぎれもなくいます。
遠く離れて見れば、これは当然のことなのかも知れません。
地方競馬のたどる道。
大多数の競馬とは無縁の方々にとっては、当たり前の正義の話なのかも知れません。
当然このあと、まず佐賀競馬や荒尾競馬への同様の波及は免れないことでしょう。
それは、やがてくるであろう更に大きな波の予感。
地方競馬のたどる道は?
ただお金の保障はできても、その費やしてきた人生への保障はなされることはありません。
切ないです。
競走馬は、経済動物だとよく言われます。
そこに生きる人間もまた、経済的動物であると、昔の偉大な哲学者が言っていました。
私が世界からかけ離れた神様ならば、同じような答えを出すのかも知れません。
それでもなお、私は地方競馬の未来への希望を支持します。
なぜ?
遠く世界の貧困に喘ぐ国の人々が、ことさら笑っているかも知れません。
たとえ間違っているとしても、そこには正義も悪もありはしません。
それでもなお、数十秒の人と馬との刹那のドラマを愛してやまない偉大なる愚か者達が、この答えの価値を問うています。
そのことだけは、忘れずにいてほしい。
そして最後まであきらめないで欲しい。
私にできることは、すでに悲しいくらいに何も無いです。
私の生活に関わる影響は、悲しいくらいに何も無いです。
でも、地方競馬のたどる道が、もうすでに規定路線だとは決して思いたくないです。
人の生きる活力の根源は、”賭ける”ことであるように思います。
お金を賭けることだけが、競馬の全てではない。。。ということをひとりでも多くの人に分かって頂きたいです。
それでは、また。
とうとう大きな波がやってきてしまったという気がしています。
岩手競馬の融資断念の決議。
詳しくは、セントレア様のブログにて。
お金のために始まり、お金のために終わる。
これまでの貢献も、歴史も、文化も、そしてそこに生きる人々も、まったく関係ないかのように時の流れるままに終わりを迎えることになってしまうのでしょうか。
赤字。
まぎれもない事実に、苦肉の策のような自転車操業的な方策を余儀なくされ、いまやそれすらもかなわない状況ということでしょう。
本質的な打開策も見つからぬまま、タイムアップを迎えてしまった一競馬場の終焉はあまりにも寂しすぎます。
これは競馬ゲームの世界ではありません。
再び、始めからリセットすることはできません。
そこには、わずか数十年の人生を、その世界で生きようとする人々がまぎれもなくいます。
遠く離れて見れば、これは当然のことなのかも知れません。
地方競馬のたどる道。
大多数の競馬とは無縁の方々にとっては、当たり前の正義の話なのかも知れません。
当然このあと、まず佐賀競馬や荒尾競馬への同様の波及は免れないことでしょう。
それは、やがてくるであろう更に大きな波の予感。
地方競馬のたどる道は?
ただお金の保障はできても、その費やしてきた人生への保障はなされることはありません。
切ないです。
競走馬は、経済動物だとよく言われます。
そこに生きる人間もまた、経済的動物であると、昔の偉大な哲学者が言っていました。
私が世界からかけ離れた神様ならば、同じような答えを出すのかも知れません。
それでもなお、私は地方競馬の未来への希望を支持します。
なぜ?
遠く世界の貧困に喘ぐ国の人々が、ことさら笑っているかも知れません。
たとえ間違っているとしても、そこには正義も悪もありはしません。
それでもなお、数十秒の人と馬との刹那のドラマを愛してやまない偉大なる愚か者達が、この答えの価値を問うています。
そのことだけは、忘れずにいてほしい。
そして最後まであきらめないで欲しい。
私にできることは、すでに悲しいくらいに何も無いです。
私の生活に関わる影響は、悲しいくらいに何も無いです。
でも、地方競馬のたどる道が、もうすでに規定路線だとは決して思いたくないです。
人の生きる活力の根源は、”賭ける”ことであるように思います。
お金を賭けることだけが、競馬の全てではない。。。ということをひとりでも多くの人に分かって頂きたいです。
それでは、また。