ここのところコメントを下さったセントレアさんのブログ”地方競馬のたどる道”に何度か行きました。
地方競馬の苦しい現状について真摯に向き合って、関係者内外からの幅広い視点で地方競馬をとらえ、その在りようを書かれている素晴らしいブログです。
そこで印象に残った言葉があります・・・。
「・・・その役割を終えて・・・・・」
このフレーズはまるで殺し文句のように、今、私の頭の中で渦巻いています。
まるで名作映画のクライマックスを今にも迎えようとしている前触れのシーンのようなせつない気持ちが溢れてきました。
一見金儲けだけが全ての世界のように見られがちな競馬という日常現実的なギャンブルの世界を、人と自然との関わり、人と馬との関わりを通じ、そこに生きる人たちの在りようを文化としてとらえ、その存在意義を改めて真剣に考えさせてくれる機会を与えてくれるところです。
いまや地方自治体の財政事情が非常に厳しいなか、赤字を続ける地方競馬の存在意義すらを問われている昨今・・・・・。
私のとって地方競馬ってなんだろう?
その答え・・・・・・・悲しいかな何も答えは思い浮かびませんでした。
やっぱり自分にとっては、競馬は単なるギャンブルでしかないのかも知れません。
いくら外部者の私が能書きをたれたって、所詮なにも私には影響はないからでしょう。
損失もない。痛みもない。
私はそんなんでしかないのですから。
ただ地方競馬がなくなれば、もう私は、名古屋競馬のパドックに来る事もない、馬をじっと眺めることもない、お金をかけてドキドキすることもない、岡部騎手や吉田騎手の騎乗に唸ることもない、必死に馬を追う茜ちゃんを応援することもない・・・、そんな日常が来るだけです・・・。
ただ・・・、ひとつだけ確かなこと。
それは、私はそんな日常を失くしたくはない・・・、ということだけ。
少々の小銭を失くしたとしても、この気持ちだけは失くしたくはないですね。
そもそも”その役割”って、何なのだろう。
地方競馬は、そもそも企業のような営利団体ではないのでしょうが、やはり自治体の営利目的で行われていることには間違いない。
少なくともそこに関わる人たちは、生きていくために競馬世界を動かしています。
去年ですか、赤字が続いていた笠松競馬の廃止が決まりかけていた時にテレビのニュースで、笠松の騎手だったか、調教師だったか、こんなようなことを言っていました。
「いまの賞金じゃ、とてもやっていけない・・・。廃止は廃止で困るけれど、存続したらそれはそれでもっと苦しい。それならいっそのこと廃止が決まってくれたほうが・・・。」
そんなニュアンスの話だったような気がします。
もはや地方競馬に未来はないのでしょうか・・・。
営利・・・、文化・・・、さまざまな考え方ととらえ方があり、しかしそこに確かに、歴史の中に生まれ出でた”地方競馬”という世界とそこに生きる人々がいる。
静かにその役割を終えて・・・。
その意味をかみしめながら、ただ、セントレアさん自身も断定的にそうおっしゃっておられるのではないことだけを最後に・・・。
それでは、また。
地方競馬の苦しい現状について真摯に向き合って、関係者内外からの幅広い視点で地方競馬をとらえ、その在りようを書かれている素晴らしいブログです。
そこで印象に残った言葉があります・・・。
「・・・その役割を終えて・・・・・」
このフレーズはまるで殺し文句のように、今、私の頭の中で渦巻いています。
まるで名作映画のクライマックスを今にも迎えようとしている前触れのシーンのようなせつない気持ちが溢れてきました。
一見金儲けだけが全ての世界のように見られがちな競馬という日常現実的なギャンブルの世界を、人と自然との関わり、人と馬との関わりを通じ、そこに生きる人たちの在りようを文化としてとらえ、その存在意義を改めて真剣に考えさせてくれる機会を与えてくれるところです。
いまや地方自治体の財政事情が非常に厳しいなか、赤字を続ける地方競馬の存在意義すらを問われている昨今・・・・・。
私のとって地方競馬ってなんだろう?
その答え・・・・・・・悲しいかな何も答えは思い浮かびませんでした。
やっぱり自分にとっては、競馬は単なるギャンブルでしかないのかも知れません。
いくら外部者の私が能書きをたれたって、所詮なにも私には影響はないからでしょう。
損失もない。痛みもない。
私はそんなんでしかないのですから。
ただ地方競馬がなくなれば、もう私は、名古屋競馬のパドックに来る事もない、馬をじっと眺めることもない、お金をかけてドキドキすることもない、岡部騎手や吉田騎手の騎乗に唸ることもない、必死に馬を追う茜ちゃんを応援することもない・・・、そんな日常が来るだけです・・・。
ただ・・・、ひとつだけ確かなこと。
それは、私はそんな日常を失くしたくはない・・・、ということだけ。
少々の小銭を失くしたとしても、この気持ちだけは失くしたくはないですね。
そもそも”その役割”って、何なのだろう。
地方競馬は、そもそも企業のような営利団体ではないのでしょうが、やはり自治体の営利目的で行われていることには間違いない。
少なくともそこに関わる人たちは、生きていくために競馬世界を動かしています。
去年ですか、赤字が続いていた笠松競馬の廃止が決まりかけていた時にテレビのニュースで、笠松の騎手だったか、調教師だったか、こんなようなことを言っていました。
「いまの賞金じゃ、とてもやっていけない・・・。廃止は廃止で困るけれど、存続したらそれはそれでもっと苦しい。それならいっそのこと廃止が決まってくれたほうが・・・。」
そんなニュアンスの話だったような気がします。
もはや地方競馬に未来はないのでしょうか・・・。
営利・・・、文化・・・、さまざまな考え方ととらえ方があり、しかしそこに確かに、歴史の中に生まれ出でた”地方競馬”という世界とそこに生きる人々がいる。
静かにその役割を終えて・・・。
その意味をかみしめながら、ただ、セントレアさん自身も断定的にそうおっしゃっておられるのではないことだけを最後に・・・。
それでは、また。
地方競馬が健全になるにしたがって、売上げが下がっていくのは、当然のように感じています。 たった一人の大口購入で配当が変化するのでは、一攫千金を狙う人はいないでしょう。 そういう意味で殺伐とした雰囲気が少なくなっているように感じますが、実際・・・場内に出かけることがあまりありません。 開催中の競馬場の様子をつづったこのブログには、興味をひかれました。
こんごとも よろしくお願いします。