今開催の笠松競馬より、不定期に南関東競馬のナイターリレー発売が始まりました。
以前から、このナイター発売は不振が続く競馬場の今日明日の即効薬ではなく、先の将来を見据えてこれからギャンブルレジャーのひとつとして生き残っていく為の手段であると考えてきました。
いまや、日本における人々の趣味娯楽は多種多彩。
それでも不況が続くと言われているこんな時代でありますから、各人各家庭の財布の中身の額も限られており、地方競馬が生き残っていくには相当な努力と工夫、時代に乗り遅れないスピード感覚が必要となって来るでしょう。
以前、日曜開催についての話題のときにも述べましたが、ナイター場外発売においても目指すところの部分は同じことなのです。
しかしながら、この”ナイター開催”が”日曜開催”と最大に違うことは、メリットとしてはJRAの開催と重ならないこと、デメリットとしては経費が莫大にかかることでしょう。
また当然、このナイター場外発売は決してこの政策の着地点ではなく、プレテスト的なものでしかありません。
最終的には”自場でのナイター開催”。
自場の顧客の客層の幅を広げ、客数を上げ、最終的に収益を上げること。
そこまで成功させなければ、このリレー発売の意味はありません。
これは単なる出発点なのです。
ただ、最初から認知度を上げるような広告宣伝費なども使えるような状況でない以上、認知度を上げるための相当な我慢が必要となってくることも確か。
今回のこのナイター場外発売という試みも、”南関東競馬の認知度がどれくらいあるのか?”、”南関東競馬をやりたいファンが現時点でどれくらい居るのか?”ということを考えれば、はたして始めから関係者の意図するような結果が出るとは到底思えません。
ナイターがダメなのか?
南関東競馬を売っているからダメなのか?
そこをよく見極めて判断もしなければならないでしょう。
今は”ナイターでも馬券を売りますよ!”ということを広く認知してもらうだけで十分であると私は考えます。
ただ、今の名古屋競馬や笠松競馬に、そこまで頑張れる”体力”がはたして残っているか?
それが最大の問題でもあります。
実際に各地の地方競馬の現状を考えれば、あまりにも先取りした先行投資や身の丈に合わない無理な政策は、ただ死期を早めるだけのことにもなりかねません。
これは岩手競馬の例が記憶に新しいです。
上面(うわつら)だけを整えることに労力を注ぎ、維持継続・発展の工夫がなされ続けなければ、まず確実に失敗します。
結果的には、岩手という地でのあのオーロパーク計画も、あまりにもその身の丈に合っていない規模の政策は無謀であったと言わざるを得ないでしょう。
確かに関係者に”夢”は与えましたが、それだけではダメだったのです。
例えば、絶対的な人口の問題。
交通や立地条件の問題。
地域の人々の気質や文化、行動思考の違いなどの問題。
さまざまな角度から考えなければならないでしょう。
あの比較的成功している南関東競馬ですら、ナイター開催があるのは大井(東京)と川崎(神奈川)だけですし、船橋(千葉)や浦和(埼玉)では行っていません。
また、大井や川崎のナイター競馬も、冬場は行わず、夏場、特に盆休み期間などの集客が見込める期間に開催を集中させています。
これは明らかに、南関東競馬全体での協力体制、はたまた効率アップのための政策によるものに違いありません。
それでははたして、このような成功例を東海公営の競馬に当てはめてみればどうなのか?
例えば、笠松ではナイターは行わず名古屋開催だけにするとかでも良いわけです。
代わりに笠松では土曜日曜開催しJRAの場外発売もするとか、考えられることはいくらでもあります。
特に”赤字即廃止”を突き付けられている笠松では、このナイター発売は危険なような気もします。
あの田園風景に囲まれた人口密度の低い笠松で、夜間にどれだけの人出があるのかと考えたら・・・誰もあまり前向きには考えられないでしょう。
ちなみに今週火曜日(12日)の笠松開催においての競馬場本場への有効入場者数、わずか1308人。
自開催の昼間でわずかこれだけの入場者しかいない現状で、はたしてこのリレーナイター発売にどれだけのファンが残っているのか。。。
考えただけでも怖くなります。
逆に言えば、名古屋は全国で第3の人口を誇る大都市なのです。
なぜ有効な手段が取れないのか?
ナイター開催へ向かっての前向きな意見が出ないのか?
ある意味不思議ではあります。
名古屋でできなければ、荒尾も佐賀も高知も福山も金沢も・・・・・みんな未来へ向けた明るい見通しは持てないでしょう。
あの関西の”関西国際競馬場計画”がどれほど現実的なものであるのかは知りませんが、それでもあの関西地区ならば思い切った政策を取ることで成功する可能性もあるように感じます。
人口の数や気質を考えれば、成功のカギはいかにド派手にアピールし、人々に衝撃を感じさせるかという点だけでしょう。
昔の話になりますが、あの大井競馬場が始めてナイター競馬を開催した時も、莫大な経費を使って大々的に宣伝活動を行っていました。
確かにあの頃あの当時とは経済状況が違いますが、それでもはたして関係者の方々にこれほどナイター競馬が定着すると、どこまで確信(自信)があったのでしょうか?
そこには綿密な計算の中にあっても、将来への危機感、また大いなる先駆者としてのチャレンジ精神があったようにも思われるのです。
それはある意味、実際の現場の方々にとっては非常に厳しいことかも知れません。
新しいものを生み出すための試行錯誤は、組織だけでなく個人にまで苦しみが伴うもので、時には勇気も必要となります。
死活が懸かった営利最優先の仕事が、はたして公務員の方にできるでしょうか?
そこまで自らの仕事に誇りと情熱を注げるような人材がいて、組合が一致団結して危機に立ち向かえるような強固な組織たりえるでしょうか?
不安は大きいです。
民営化?
話が膨らみすぎてしまいますので、それはまた次回以降に・・・・・。
それでも普通に考えれば、名古屋にはその支えているバックボーンの大きさから考えて、まだまだ大きなチャンスがあるように思えるのです。
今でも数多くの地方競馬場では昔ながらの流れを色濃く残してはおりますが、いまや南関東競馬は、あの当時の地方競馬とは、ファン層も、その楽しみ方も、少しずつ”異なるもの”になりつつあります。
どちらかと言えば中央競馬に近い、レジャー思考の競馬。
いまやインターネットで全国の馬券を買える時代です。
あの日銭を増やすのに窮々としジョッキーとケンカするような鉄火場の雰囲気は、もう競馬場のどこにもないのです。
こんな不況と言われる時代にあっても、昔に比べたらファンの財布の中身は”生活費”ではなく”お小遣い”であるほどに?豊かではあるのでしょう。
しかし名古屋ではどうしてこんなにも、いまだに競馬が”垢抜けない”のでしょうか?
それは競馬場が、未だに垢抜けないからに違いありません。
昔のままのイメージで、昔の繁栄していた当時の復活を追い求めているうちは、いつまでたってもこのままです。
いづれ静かにその時代の役割を終え、ゆるやかな下降線をたどりながら終焉の時が来てしまうことでしょう。
それが半年後か、3年後かの違いだけです。
経済も人々の考え方も全てにおいて日本という国が、情報化などの影響により加速度的に状況が変わってきているというのに・・・・・。
せっかく新しい芽が吹いてきても、それを受け入れる土壌がなければ花は育ちません。
”花が芽生える見込みがないのに、土壌を整えてどうするんだ?”
そう考える競馬不要論の政治家も声も多く聞きます。
それなら種をまく必要もない。
ナイター場外発売も、いますぐやめるべきなのかも知れません。
私が思うに、やるからにはもう少し思い切ったアピールや試みが必要なのではないかと思います。
まず、地元スポーツ紙の他場の馬柱欄などもっと小さくしても、興味の無い人からも目を惹くような”ナイター場外発売中”の活字広告をドデカく入れたほうがよほど良い。
まずやっていることを一人でも多くの人にわかってもらわなければ、馬柱など意味もないでしょう。
あれでは紙面に紛れ込んだ興味のない他ギャンブルの欄の出走表を同じくらいの認知度でしか視界に入ってきません。
また実際、競馬場で、客数見込みから開いている売店が半分以下なのは仕方ないにしても、せっかくの競馬の臨場感を盛り上げるであろう馬場内の巨大モニターすらも作動せず。。。
それでは、あの、もの悲しい雰囲気も仕方ないことでしょう。
あんな雰囲気の漂う場内では、せっかく覗きに来てくれたファンが二度と再び競馬をやりに来たいとは思いませんよ。
なによりまだ、認知度が低いのは仕方がないことです。。。
少しずつでも改善されていけば・・・、と切に思います。
それでは、また。