地元名古屋のとある店で。
手羽先を食べていたら、食べ方が違うと言われた。
ああそれか、とすぐにピンときた。
手羽先の二股の方を両手でつまみ、ツルッと一口で食べる食べ方だろう。
名古屋人なのに手羽先の正しい食べ方も知らないのかと笑われた。
いや、そうじゃないんだが。。。
その食べ方は知っている。
でもその食べ方では美味く感じないだな。
それは「正しい食べ方」ではなく、「効率的な食べ方」あるうはせいぜい「かっこいい食べ方」くらいのものだろう。
不器用で汚なくても、前歯で肉をむしりとって舌の真ん中でタレと肉を味わいたいのだ。
まあ変に否定するのも面倒くさいし、知らなかったことにしておいた。
目の前の相方はいかにも自慢気な顔で、ツルッと2本3本と食べていた。
あんな食べ方でホントに美味いのかなぁ。
最近の世の中はそんなことが多い。
ゴルフのスイング理論もそう。
正しい理論はひとつじゃないのに。
「3ヶ月で90切らせます」なんてキャッチコピーを最近見かけるが、あれなんかゴルフの楽しみや面白さを半分も味わえないだろうなぁ・・・なんて可哀想に思う。
でも効率的なやり方をまったく知らないというのもマズいだろうけど。
まあ長い時間をかけて色んなことを見たり感じたり考えたりしながら、捨てたり拾ったりしていく中で分かることの方が、自分の中で正しいことだと信じている。
ただ急いで結果が欲しい若い人には、こんなヘタれたオヤジの考えは当てはまらない。
この社会で人より上に立とうと思うなら、先んずることが断然有利に間違いないから。
でもそれは、たとえそれがエリートコースの教科書の内容であったとしても、すべての人に正しい答えではありえない。
ともすれば、あたかも多数決で決まってしまうような正論に溢れた現代のネット社会。
それは気持ち悪いくらいに、「効率」であり、「公平」であり、「正義」という大義に準じている。
そしてSNSなどはそれを一人一人が考える以上に集約し、大きな塊のようになってひとつのイデオロギーを生み出している。
そしてそれが誰の意思でもなく、その中の一人一人を無意識のうちに強迫する。
現代の生きづらさはそんなところから来るのではなかろうか。
闇を許さない社会は幸福に見える。
でも元来人間はそんな風にはできていない。
同じく社会もそんな風にはできていない。
だから逆に、そこに闇が無ければ歪んでくるのは当然のことなのかも知れない。
隠れるところのない世界。
人の心も、社会も。
手羽先くらい、私の自由に食べさせてもらいたいものだと思うね。