ヨブの妻の悲嘆、子どもを喪った悲しみの深さと深刻さ‥これをどのように表現していいのか「ヨブ記」にも手がかりはなくよくわかりません。それを私は私のごく近くの二人の知人の例をもって考えてみたいと思います。
小倉陽子さんという知人の例です。出版社の経営者であった小倉氏夫妻は私共夫婦の仲人でした。小倉夫妻には一人娘がいました。その娘さんは高校までは水泳で頑張り、大学入学と同時にゴルフをやるのだと言って入学直後からゴルフ練習に熱中する日々でした。大学入学の数か月後18歳の娘盛りの彼女を難治性の血液の病気が襲います。そしてわずか2か月ほどの闘病の後に天に召されました。その後の日々の陽子さんの悲嘆の姿には胸を撃たれました。もぬけの殻になったような表情をして空虚を歩いているような彼女の心の裡が伝わってきました。ご主人は彼女が間違いなく自死を考えていると言い、昼間にはできるだけ外に連れ出したり彼女の親族を自宅に住まわせたりしていました。何の折であったかある時私は彼女の隣を歩いていました。いきなり陽子さんは振り向くと私に向かって言いました‥‥毎日毎日が地獄のようでどのようにしたら死ねるかどこで死ぬるかを考えているの‥あなたには決してわからないと思う‥どこでけじめをつけて死んだらいいのか‥‥と。私は返答の言葉が出ませんでした。母親が花の盛りの一人娘を死なせた後の心の世界は、到底推し量ることはできません。陽子さんはそのまま歩を進めてあの海の蒼に身を投げるのではないか‥それだけは防がないと‥そんなことを私は考えていました。陽子さんが八十歳近くで亡くなるまで、私は彼女は一度も心の底から笑ったことがなかったのではないかと確信しています。
亡くなる数年前にお会いした時に陽子さんは私にいきなり遠藤周作の『深い河』を出して、「これ読んだことある? ぜひ読んでみて」と言いました。それが元気な彼女に会った最後でした。私にはそれが遺言のように胸に残っています。彼女はその後転落事故で脳挫傷の傷を負い意識不明のまま入院生活を送り亡くなりました。
『深い河』は遠藤周作の作家としての集大成とも言われます。五人の主人公が目指す場所/行き着く先はインドです。キリスト教といういわば一神教の宗教の信徒でもあった作家は、自らの信仰が必ずしも日本人の心性に沿うものではないことを認識していたことがわかります。一神教としてのキリスト教の対極にはインドの宗教世界が存在していてそこには全てを包摂する宗教の心がある‥これが作家の到達点であったのだと思われます。かのノーベル賞作家ヘルマン・ヘッセの確信がおそらくそうであったように。知性も高く読書家の陽子さんが私に「『深い河』読んでみて」と言われたことに、どのような意味が込められていたのだろうか‥未だに「解」に至らない点です。未来を断ち切られたままにその後の人生を生きてきた彼女の世界が私にわかるはずもないのですが‥‥お腹を痛めて生んだたった一人の娘は輪廻転生してインドで生まれ変わって人生を生きているといると信じていたのか、何十年も娘の魂を抱きながらひと時も消えることのなかった悲嘆の中にあった彼女は、果てることなき彼女の懊悩の全てを飲み込んでくれる場としてインドという世界に安心の世界を見い出そうとしていたのか‥‥そのどちらかであったと信じています。
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川嶋みどりさん(日本赤十字看護大学名誉教授)は日本の専門職看護の知的体系化や看護教育に力を尽くされてこられた方です。以下は川嶋さんのお話しの要点です(公表されているインタビュー記事の抜粋です)。
「私には二人の息子が居りました。ある日浪人して入学試験が終わった長男が「友達が飲み会に誘ってくれた」とうれしそうに出かけていきました、でもその晩帰ってこなかった‥警察からの電話で彼が駅のホームから転落し試運転の電車にひかれて亡くなったという報告を受けた時、私は泣くというよりも”転げ回って吠えた”ようだと記憶しています。
その後たくさんの人から、温かい言葉やお悔やみの言葉をかけてもらいましたが、当時は全部はねのけてしまったほどでした。あなたたちには、子どもを亡くした親の気持ちはわからないって‥それほど辛かった。なかなか立ち直れなかったけれども長男を思って和歌を読み始めました。それから毎朝長男が好きだったコーヒーを淹れるようになりました。40年以上毎朝写真の前にコーヒーを供えて長男と話をしています。 「時間が解決する」とよく言いますが、時が経てば悲しみの質は変わるけれど、悲しみは消えません。また「同じ悲しみを持った人と交流すればいい」とも言われますが、かえって思い出してしまって辛かった。こうしたらいいよ‥という特効薬はないと思います。看護の仕事を続けてきて常に死と向かい合ってきた自分でさえ、なかなか立ち直れませんでした。どうにか乗り越えられたのは、やっぱり仕事があったからでしょうか。でも乗り越え方もそこにかかる時間も人それぞれです。無理をしないで、自分のペースでいいと思います。あるとき講演で私の話を聞いた方から「お子さんは何人ですか?」と聞かれました。「2人です」と答えたら「じゃあ、よかったですね」と言われました。その方は私を励ますつもりで言ってくれたのだと思いますが、心臓に釘を刺されたように辛かった‥と。
2011年3月の東日本大震災の後に仲間たちと被災地の支援に入りました。被災者の方々から「あなたは、わかっていない」と言われた。大切な人、財産、家を亡くした悲しみが、経験していないあなたにはわからないと。その方々の気持ちが痛いほどわかりました。「私も長男を亡くしたから、わかるわ」と言葉では言わなかったけれど、そういう思いで背中をさすり、黙って話を聞きました。」
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「ヨブ記」では記されていないヨブの妻の悲嘆と懊悩は、わが子を喪った知人の小倉陽子さんと川嶋みどりさんの例をもって語る事しかできませんが、若いわが子の死は母親にとって未来が閉じられたことを意味します。だから自死だけを考え続ける日々が続くのです。わが子の死の直後には川嶋さんに限らず泣くというよりも”転げ回って吠えた”‥これが母親の真の姿です。
ヨブの妻もこのような痛哭悲嘆の時があったはずです。それを何故ヨブ及び著者は何も書き記さなかったのか‥未だに「ヨブ記」が私に投げかけている課題です。