今日の「 お気に入り 」 。
「 うどん供へて 、母よ 、わたくしもいただきまする
山頭火の母親は明治二十五年三月六日 、屋敷内にあった鶴瓶 ( つるべ ) の井戸に身を投げて
自殺している 。彼女は小柄でなかなかの器量よし 、しんぼう強い性格だったという 。が当時 、
山頭火は十歳 、一つ上に姉がひとり 、末の弟は二歳三カ月 、その間に妹と弟 、つまり幼い五
人の子をのこして母は死を急いだ 。享年三十二歳 。原因については夫の女癖の悪さをいう人
もいる 。そのほか諸々の計り知れない苦悩があってノイローゼに陥っていたという 。
山頭火は後年の日記に 「 あゝ亡き母の追懐 ! 私が自叙伝を書くならばその冒頭の語句と
して ―― 私一家の不幸は母の自殺から初まる ―― と書かなければならない 」と書く 。母
の自殺以後は 、終生事あるごとに母の幻影がちらついて 、山頭火は衝動的な行動を起こす
ことになる 。
少々因縁 ( いんねん ) 話 めくが 、山頭火の一大事は陰陽では陽の五という数字と関係が
深い 。先ず生まれた年が明治十五年 。そして母の自殺が明治二十五年 。明治三十五年は
東京に遊学中で早稲田大学の第一回生として入学した年だ 。大正五年は種田家が破産し
て一家離散 。大正十五年は捨身懸命で放浪の旅がはじまっている 。昭和五年はこれまで
の手記 、日記を焼き捨てて 、新たな旅へ出発した年だ 。昭和十五年は山頭火が死地と選
んだ松山でころり往生を遂げるのである 。
ところで 、明治二十五年三月六日は 、日曜日で学校は休みだった 。小学生の山頭火は
近所の子供らと納屋の作業場で遊んでいたという 。午前十時ころ 、井戸に何かが落ちる
音がして 、異様な物音に近所の大人が集まってきた 。東隣の 四反田与市 さんもそのとき
駆けつけた一人で 、井戸の車釣瓶を降ろして彼女を引き上げ 、作業場の土間に
横たえたという 。
種田家の屋敷は宏大で八百五十坪余もあった 。少々の物音では隣近所にわからない 。が 、
すぐに駆けつけた人がいたから 、誰にも知られる騒ぎとなった 。納屋で遊んでいた山頭火
も 、その衝撃的事件に否応なく直面することになる 。
それまでも没落の兆しはあったが 、この一件によって種田家の内情は一気に露見してし
まう 。そして父の竹治郎は社会から疎外され信用を失ってゆく 。 」
「 ・・・ 、山頭火で一番短い作品に 『 音はしぐれか 』という七音字の句がある 。もっとも彼の
代表句というわけではないが 。」
( 出典: 種田山頭火著 村上護 編 小崎侃・画 「 山頭火句集 」ちくま文庫 ㈱筑摩書房 刊 )
上掲は 、「 山頭火句集 」に収録されている 、編者である村上 護さん の「 解説 山頭火の境涯
と俳句 」からの引用です 。
10月11日は 、種田山頭火 さん の 命日 。1940年 ( 昭和15年 ) 10月11日 没、享年58 。
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