今日の「 お気に入り 」 。
「 家郷忘じ難しといふ 。まことにそのとほりである 。故郷はとうてい捨てきれない
ものである 。それを愛する人は愛する意味に於て 、それを憎む人は憎む意味に於て 。
さらにまた 、予言者は故郷に容れられずといふ諺もある 。えらい人はえらいが故に
理解されない 。変つた者は変つてゐるために爪弾きされる 。しかし 、拒まれても
嘲られても 、それを捨て得ないところに 、人間性のいたましい発露がある 。錦衣
還郷が人情ならば 、襤褸をさげて故園の山河をさまよふのもまた人情である 。
近代人は故郷を失ひつつある 。故郷を持たない人間がふえてゆく 。彼らの故郷
は機械の間かも知れない 。或はテーブルの上かも知れない 。或はまた 、闘争その
もの 、享楽そのものかも知れない。しかしながら 、身の故郷はいかにともあれ 、
私たちは心の故郷を離れてはならないと思ふ 。
自性を徹見して本地の風光に帰入する 、この境地を禅門では『 帰家穏座 』と
形容する 。ここまで到達しなければ 、ほんとうの故郷 、ほんとうの人間 、ほん
とうの自分は見出せない 。
自分自身にたちかへる 、ここから新らしい第一歩を踏み出さなければならない 。
そして歩み続けなければならない 。
私は今 、ふるさとのほとりに庵居してゐる 。とうとうかへつてきましたね ――
と慰められたり憐まれたりしながら 、ひとりしづかに自然を観じ人事を観じてゐる 。
余生はいつまで保つかは解らないけれど 、枯木死灰と化さないかぎり 、ほんとう
の故郷を欣求することは忘れてゐない 。 」
「 花いばらここの土とならうよ
ひとりきいてゐてきつつき
けふはおわかれの糸瓜がぶらり
住みなれて茶の花のひらいては散る
( 山頭火 )」
( 出典: 種田山頭火著 村上護 編 小崎侃・画 「 山頭火句集 」ちくま文庫 ㈱筑摩書房 刊 )