「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

歴史から学ばない Long Good-bye 2022・09・27

2022-09-27 05:55:00 | Weblog




  今日の「 お気に入り 」は 、とある 小説 の一節 。

   「 『 物理学は永久に数学を追い抜けないんです 』
   『 それはどうしてですか 』
   『 物理学は常に数学を使わないといけないからです 。
    ニュートンが微積分の公式を考えたのは 、惑星軌道が
    一定時間に掃く面積は常に一定であるという 、ケプラ
    ーの仮説を証明するためです 。そして微積分の公式を
    使って 、すべての物体の間には 、引き合う二つの物
    体の積に比例し 、その距離の二乗に反比例した引力が
    働くという 、万有引力の法則を発見したんです 』
   『 全然 、理解できません 』
   『 とにかく 、物理学は数学を用いないと 、法則も公式
    も導き出せないんです 。だから 、数学が到達している
    先には物理学は進めないんです 』
   『 たとえば電子物理学は複素数を用いないと計算できま
    せん 。虚数の概念そのものは十六世紀に発見されてい
    ますが 、これがなければ電子物理学は行き詰まってい
    たことでしょう 。』

    虚数と呼ばれる複素数は実際には存在しない数字だ 。
    でも二乗するとマイナスの実数になって姿を現す 。
    それって人間の『 無意識 』に似てるかも 、と一瞬思
    った
。 」



 

   兵役義務がある国での予備役動員 の 本格化 。
   占領地域への配備で real「 人間の壁・盾 」、

   国境に air「 鉄のカーテン 」 、air「 ベルリンの壁 」、
   本音と建て前が試される 愛国心 の「 踏み絵 」。

   国民を理詰めで追い込んでいく 。
   いよいよ KGB の 本領 発揮 、ロシア が 旧ソ連 に回帰 。

            

   ウクライナでベトナム戦争 !?
   ゼレンスキーがホー・チ・ミン ?!
   ロシアがアメリカ !?
   最後に勝ったの ホー・チ・ミン 。
   お隣りの中国も同じ 。勝つた方につく 。
   原発が三つも四つもある国で 、核兵器使ったら 、元も子もない 、皆承知 。

   「 われわれが歴史から学ぶことは 、
    人間は 決して 歴史から学ばない ということだ 」
                    ( ヘーゲル )


 

  ( ついでながらの
    筆者註 : 「 ベトナム戦争( ベトナムせんそう 、越 : Chiến tranh Việt Nam /
        戰爭越南 、中 : 越南戰爭 、英 : Vietnam War )は 、当時南北に
        分断されていたベトナムで 社会主義のベトナム民主共和国( 北ベト
        ナム )と 資本主義のベトナム共和国( 南ベトナム )が争った戦争
        であり 、冷戦中に起こった資本主義と社会主義の代理戦争である と
        される 。ベトナムの南北両国では以前から小競り合いが続いていたが 、
        1964年8月2日に アメリカ が トンキン湾事件 を起こして参戦した事
        で一気に全面戦争に突入 、1975年4月30日 に 北ベトナム軍が南ベト
        ナムの首都サイゴン( 現在の ホーチミン )を陥落させるまで続いた 。
        この戦争には南北両国やアメリカだけでなく 、北ベトナムを支援する
        ベトコン や 南ベトナムを支援する 韓国 や オーストラリア などの
        反共国も参戦し 、泥沼のゲリラ戦 を行ったため 多くの犠牲者を出
        す大変悲惨な結果となったため アメリカ軍は 1973年に撤退し 。
        なお 、この戦争では ベトナムだけでなく 、周辺諸国であるラオス
        やカンボジアも被害を受けている 。これは それぞれ ラオス内戦 、
        カンボジア内戦 と呼ばれており 、1975年に 3カ国とも 社会主義化
        した事で終結した 。」
        以上 ウィキ情報 。
         アメリカ参戦からサイゴン陥落まで10年余り 。
        1966年の夏 、バンコックから搭乗したエアフランス機が
        立ち寄った 、サイゴンのタンソニュット空港には 、自動小銃を肩に掛
        けたアメリカ人の歩哨が 、ゲート脇に立っていた 。
        当時の筆者は 18歳の学生 、一人旅 。米中ソ 色々あったが 、
        あの頃と同じように 混沌とした 世界情勢 。 )

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