今日の「 お気に入り 」は 、司馬遼太郎さん の
「 街道をゆく 9 」の「 播州揖保川・室津みち 」。
今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に
連載されたもの 。
備忘のため 、「 播州龍野 」について書かれた数節
を抜粋して書き写す 。
引用はじめ 。
「 龍野藩というのは江戸期も明治後もこの小さ
な城下町の内外から多くの学者 、名僧あるい
は文人墨客を出したように 、江戸期は学問が
盛んだった 。脇坂氏五万一千石の居城の城山 ( 鶏籠山 (けいろうざん) )
の名称をことさらに唐様(からよう)で呼称した
のは 、この地が播州における漢学の一淵叢(え
んそう)だったことと無縁ではないかもしれな
い 。」
「 詩人三木露風( 1889~1964 )は 、播州龍野
の人である 。」
「 私などは詩に暗いために 、三木露風といえば
明治末年から大正にかけて北原白秋とともに詩
壇を両分した人ということと 、童謡『 赤蜻蛉
(あかとんぼ) 』で知っている程度で 、まこと
に心細い 。 」
「『 三木露風全集 』(三木露風全集刊行会刊)第
三巻の有本芳水(ありもとほうすい)氏の『 初
期の三木露風の作品 』によると 、あるとき
(司馬註・明治四十二年から四 、五年たった
ころらしい)有本芳水氏が露風の家にあそびに
ゆくと 、こんな詩を作った 、詩というより童
謡といったほうがいいかもしれない 、といっ
て原稿紙に書いたその詩をみせてくれたそうで
ある 。
私は 、有本芳水氏の文章によって 、この詩
は露風の少年期の実景がしんになっていること
を知った 。
夕焼 、小焼の
あかとんぼ
負(お)はれて見たのは
いつの日か
山の畑の
桑の実を
子籠に摘(つ)んだは
まぼろしか
年譜によると 、露風の母かたは 、かれの七
歳のときに父節次郎に別れ 、鳥取の実家に帰
っている 。露風は若いころ生母を恋うことが
しきりであったが 、『 負はれて 』というの
は 、この生母への記憶がもとになっているら
しい 。山の畑の桑の実というのも 、播州龍
野の鶏籠山の麓の桑畑のことで 、小籠をさげ
て母とともに桑の実を摘んだのもあれはまぼ
ろしであるか 、ということで 、桑畑までが
実景として詩のイメージの底にあるという 。
母が居なくなってから 、宍粟(しそう)郡より
姐(ねえ)やをよんだ 。
十五で姐やは/嫁に行き/お里のたよりも/
絶えはてた 。夕やけ小やけの/赤とんぼ/
とまつてゐるよ/竿の先 。
そういう姐やもいて 、彼女は露風を可愛が
ってくれたらしいが 、十五で嫁に行った 。
そういうことも 、どうも本当らしい 。有本
芳水はやはり播州の人で 、露風と若いころか
らの友人であった 。この文章もことさら考証
めかしく書いているのではなく 、国文解釈風
の淡々とした調子で 、淀みもなく書きくだし
ている 。
その真偽は 、どうでもよい 。そのようにい
われてみれば 、夕焼けがよく似あうのもこの
龍野の旧城下であり 、その屋根瓦の上の夕焼
けを背景に赤とんぼがいっぴきだけ竿のさき
に身じろぎもせずにとまっているのも 、この
町にふさわしい 。露風の祖父はこの小さな藩
で奉行職をつとめた人で 、生母かたというの
は 、因幡鳥取藩の家老の娘である 。」
「 赤とんぼ とまってゐるよ 竿の先
という稚拙な俳句は 、むろん堂々たる俳人の
ものではない 。三木露風が 、明治三十五年 、
十四歳のとき 、従兄や弟たちと出していた回
覧雑誌にのせた句である 。しかし当の露風も 、
これはあまりに稚(おさ)なすぎると思ったの
か 、後年『 我が歩める道 』という追想記を
書いたとき 、その十四歳前後のくだりにおい
て他の作品をあげ 、この俳句をはぶいている 。
が 、童謡『 赤蜻蛉(あかとんぼ) 』の最後の
くだりには 、この十四歳のときの俳句がわず
かに形を変えて出ているのである 。『 夕やけ
小やけの/赤とんぼ/とまつてゐるよ/竿の先 』
というぐあいであり 、おそらく露風は句の巧拙
などしんしゃくするゆとりもなく少年の日のこ
の情景を愛していたのであろう 。あるいは 、
少年期よりもっと以前の生別した生母に負われ
て見た日の情景だったのかもしれない 。
露風は一貫して象徴詩の立場を持し 、反自然
主義や 、北海道の修道院の講師になってからは
自然の感情からほど遠い宗教詩なども書いたが 、
結局はわれわれ素人の胸にのこっているのは 、
この童謡『 赤蜻蛉 』であるかもしれない 。そ
こに 、おそらく幼児のころ母親の肩ごしに見た
であろう赤とんぼの情景が定着していることを
思うと 、詩人の生涯というものにふしぎな想い
を持たざるをえない 。」
引用おわり 。
グーグル・マップのストリートビューで眺める限りでは 、
龍野の町に 、五十年前の静かな雰囲気はないようだ 。
(⌒∇⌒) 。。
( ついでながらの
筆者註:「 三木 露風( みき ろふう 、1889年(明治22年)
6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日 )は 、
日本の詩人 、童謡作家 、歌人 、随筆家 。本名
は 三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラ
マンの碧川道夫がいる 。国木田独歩の曾祖母が
三木家出身 。その縁もあり1912年『独歩詩集』
を刊行した 。早稲田詩社結成に加わり 、『 廃
園 』(1909年)を刊行 。ほかに詩集『 寂しき
曙 』(1910年)、『 白き手の猟人 』(1913年)
など 。
近代日本を代表する詩人・作詞家として 、北原
白秋と並んで『 白露時代 』を築いた 。若き日
は日本における象徴派詩人でもあった 。」
「 『 赤とんぼ 』( 赤蜻蛉 、あかとんぼ )は 、
三木露風の作詞 、山田耕筰の作曲による 、
日本の代表的な童謡の一つである 。夕暮れ時
に赤とんぼを見て 、昔を懐かしく思い出すと
いう 、郷愁にあふれた歌詞である 。2007年
(平成19年)に日本の歌百選の1曲に選定され
た 。瀧廉太郎も携わったと言われる 。」
以上ウィキ情報 。)
(⌒∇⌒) 。。
ついでながら 、今日 、11月4日は「 埼玉県民の日 」だそう 、
知らんけど 。浦和人 、大宮人 、蕨人 、与野人 、熊谷人 、所沢
人 、春日部人など多様な人種が 、「 暑さ日本一 」を競いながら 、
平和的に暮らす土地らしい 。因みに 、所沢には観測地点がない
そうで「 日本一コンテスト 」に参加できないとか 。
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