「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

赤蜻蛉 Long Good-bye 2024・11・14

2024-11-14 06:14:00 | Weblog

  

 

 今日の「 お気に入り 」は   、司馬遼太郎さん の

 「 街道をゆく 9 」の「 播州揖保川・室津みち 」。

  今から50年ほど前の1976年の「週刊朝日」に

 連載されたもの 。

 備忘のため 、「 播州龍野 」について書かれた数節

 を抜粋して書き写す 。

  引用はじめ 。

 「 龍野藩というのは江戸期も明治後もこの小さ
  な城下町の内外から多くの学者 、名僧あるい
  は文人墨客を出したように 、江戸期は学問が
  盛んだった 。脇坂氏五万一千石の居城の城山  ( 鶏籠山 (けいろうざん) )
  の名称をことさらに唐様(からよう)で呼称した
  のは 、この地が播州における漢学の一淵叢(え
  んそう)だったことと無縁ではないかもしれな
  い 。」

 「 詩人三木露風( 1889~1964 )は 、播州龍野
  の人である 。」

 「 私などは詩に暗いために 、三木露風といえば
  明治末年から大正にかけて北原白秋とともに詩
  壇を両分した人ということと 、童謡『 赤蜻蛉
  (あかとんぼ) 』で知っている程度で 、まこと
  に心細い 。 」

 「『 三木露風全集 』(三木露風全集刊行会刊)第
  三巻の有本芳水(ありもとほうすい)氏の『 初
  期の三木露風の作品 』によると 、あるとき
  (司馬註・明治四十二年から四 、五年たった
  ころらしい)有本芳水氏が露風の家にあそびに
  ゆくと 、こんな詩を作った 、詩というより童
  謡といったほうがいいかもしれない 、といっ
  て原稿紙に書いたその詩をみせてくれたそうで
  ある 。
   私は 、有本芳水氏の文章によって 、この詩
  は露風の少年期の実景がしんになっていること
  を知った 。

   夕焼 、小焼の
   あかとんぼ
   負(お)はれて見たのは
   いつの日か

   山の畑の
   桑の実を
   子籠に摘(つ)んだは
   まぼろしか

   年譜によると 、露風の母かたは 、かれの七
  歳のときに父節次郎に別れ 、鳥取の実家に帰
  っている 。露風は若いころ生母を恋うことが
  しきりであったが 、『 負はれて 』というの
  は 、この生母への記憶がもとになっているら
  しい 。山の畑の桑の実というのも 、播州龍
  野の鶏籠山の麓の桑畑のことで 、小籠をさげ
  て母とともに桑の実を摘んだのもあれはまぼ
  ろしであるか 、ということで 、桑畑までが
  実景として詩のイメージの底にあるという 。
  母が居なくなってから 、宍粟(しそう)郡より
  姐(ねえ)やをよんだ 。

   十五で姐やは/嫁に行き/お里のたよりも/
   絶えはてた 。夕やけ小やけの/赤とんぼ/
   とまつてゐるよ/竿の先 。

   そういう姐やもいて 、彼女は露風を可愛が
  ってくれたらしいが 、十五で嫁に行った 。
  そういうことも 、どうも本当らしい 。有本
  芳水はやはり播州の人で 、露風と若いころか
  らの友人であった 。この文章もことさら考証
  めかしく書いているのではなく 、国文解釈風
  の淡々とした調子で 、淀みもなく書きくだし
  ている 。
   その真偽は 、どうでもよい 。そのようにい
  われてみれば 、夕焼けがよく似あうのもこの
  龍野の旧城下であり 、その屋根瓦の上の夕焼
  けを背景に赤とんぼがいっぴきだけ竿のさき
  に身じろぎもせずにとまっているのも 、この
  町にふさわしい 。露風の祖父はこの小さな藩
  で奉行職をつとめた人で 、生母かたというの
  は 、因幡鳥取藩の家老の娘である 。」

 「 赤とんぼ とまってゐるよ 竿の先
   という稚拙な俳句は 、むろん堂々たる俳人の
  ものではない 。三木露風が 、明治三十五年 、
  十四歳のとき 、従兄や弟たちと出していた回
  覧雑誌にのせた句である 。しかし当の露風も 、
  これはあまりに稚(おさ)なすぎると思ったの
  か 、後年『 我が歩める道 』という追想記を
  書いたとき 、その十四歳前後のくだりにおい
  て他の作品をあげ 、この俳句をはぶいている 。
   が 、童謡『 赤蜻蛉(あかとんぼ) 』の最後の
  くだりには 、この十四歳のときの俳句がわず
  かに形を変えて出ているのである 。『 夕やけ
  小やけの/赤とんぼ/とまつてゐるよ/竿の先 』
  というぐあいであり 、おそらく露風は句の巧拙
  などしんしゃくするゆとりもなく少年の日のこ
  の情景を愛していたのであろう 。あるいは 、
  少年期よりもっと以前の生別した生母に負われ
  て見た日の情景だったのかもしれない 。
   露風は一貫して象徴詩の立場を持し 、反自然
  主義や 、北海道の修道院の講師になってからは
  自然の感情からほど遠い宗教詩なども書いたが 、
  結局はわれわれ素人の胸にのこっているのは 、
  この童謡『 赤蜻蛉 』であるかもしれない 。そ
  こに 、おそらく幼児のころ母親の肩ごしに見た
  であろう赤とんぼの情景が定着していることを
  思うと 、詩人の生涯というものにふしぎな想い
  を持たざるをえない 。」

   引用おわり 。

   グーグル・マップのストリートビューで眺める限りでは 、

  龍野の町に 、五十年前の静かな雰囲気はないようだ 。

  (⌒∇⌒) 。。

  ( ついでながらの

  筆者註:「 三木 露風( みき ろふう 、1889年(明治22年)
       6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日 )は 、
       日本の詩人 、童謡作家 、歌人 、随筆家 。本名
       は 三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラ
       マンの碧川道夫がいる 。国木田独歩の曾祖母が
       三木家出身 。その縁もあり1912年『独歩詩集』
       を刊行した 。早稲田詩社結成に加わり 、『 廃
       園 』(1909年)を刊行 。ほかに詩集『 寂しき
       曙 』(1910年)、『 白き手の猟人 』(1913年)
       など 。
        近代日本を代表する詩人・作詞家として 、北原
       白秋と並んで『 白露時代 』を築いた 。若き日
       は日本における象徴派詩人でもあった 。」

       「 『 赤とんぼ 』( 赤蜻蛉 、あかとんぼ )は 、
       三木露風の作詞 、山田耕筰の作曲による 、
       日本の代表的な童謡の一つである 。夕暮れ時
       に赤とんぼを見て 、昔を懐かしく思い出すと
       いう 、郷愁にあふれた歌詞である 。2007年
       (平成19年)に日本の歌百選の1曲に選定され
       た 。瀧廉太郎も携わったと言われる 。」

       以上ウィキ情報 。)

  (⌒∇⌒) 。。

  ついでながら 、今日 、11月4日は「 埼玉県民の日 」だそう 、

  知らんけど 。浦和人 、大宮人 、蕨人 、与野人 、熊谷人 、所沢

  人 、春日部人など多様な人種が 、「 暑さ日本一 」を競いながら 、

  平和的に暮らす土地らしい 。因みに 、所沢には観測地点がない

  そうで「 日本一コンテスト 」に参加できないとか 。 

 

   

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